名久井さんショート

2023年1月、16年間勤めた東北放送(tbc)を離れ、フリーランスとしてPRの仕事を開業しました。

小学生の頃からラジオが大好き。FMの音楽番組のパーソナリティに憧れ、大学進学と同時にアナウンススクールへ。地元東北のtbcから内定の連絡をもらったときは、嬉しくて涙が出ました。

入社1年目の秋には念願のラジオで音楽番組を持たせてもらえることに。また、サンドウィッチマンさんの番組「サンドのぼんやり~ぬTV」のアシスタントを7年勤めたことで、仙台の街を歩くと視聴者の方に「名久井ちゃん!」と声をかけてもらえるようにもなりました。

しかし、YouTubeをはじめさまざまなSNSで誰もが発信できる時代になり、自分の仕事の意義や役割を見つめ直し、キャリアチェンジを考えるようになりました。
――「局アナ」だからこそできることは何だろう……。

プライベートでは結婚・出産を経験。生放送を抱え、保育園の行事にほとんど参加できず、仕事と家事・育児の両立が難しくなっていました。貴重な育児の喜びの瞬間を逃す焦りもあった。
しかし、先輩にはこう言われます。
「名久井ちゃん、楽しんでる? 楽しかったら疲れなんて感じないはずだよ」
そうなのかなぁ……と半信半疑ながら、その言葉がずっと心に残っていました。

35歳を過ぎて本格的にキャリアチェンジを考え始めたものの、アナウンサーしか経験のない私に何ができるかわからない。そんなとき、SNSでPR塾を知り、通ってみたところ、一瞬でPR職の魅力にとりつかれました。お店や商品の魅力を紹介する。その本質はアナウンサーと同じ。局アナの経験から、どんなタイミングでどんな商品がメディアに取り上げられやすいかもわかります。PR塾に通い始めて2カ月後には退職を決めました。

最終出社日には寂しさもありましたが、達成感のほうが大きかった。2月からスタートしたPRの仕事は、忙しいけれど、不思議と疲れません。
――そうか、先輩が言っていたのはこういうことなのか!

こうして順調なスタートを切られたのは、局アナの経験があったからです。名前を知ってもらえているからこそ、「名久井ちゃんにお願いしたい」と言ってもらえる。退職してからなおさら、16年の重みを実感しています。

「東北のPRといえば名久井ちゃん」と思ってもらえるようになりたい。ゆくゆくは、同じ思いを持つ仲間たちと、チーム化や法人化もできたらいいなと思っています。

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