河合正憲

理学療法士から生命保険会社営業へ、そして介護事業とライブクリエイト事業のハイブリッドな働き方へ。異業種転向を決めたこと、それがわたしの決断です。

小学4年生からサッカーを始め、そのまま中学・高校でもサッカーを続けていたところ、高校2年生で蓄積疲労による足の筋断裂を起こし、1カ月ほど歩けない時期が続きました。そのとき通った整骨院の先生が、痛みのある患部ではなく全体のバランスを見ながら診察をしていく姿に感銘を受け、そこから体の構造やスポーツに関連する職業について調べ始めました。整骨院よりももっと長い期間患者さんと寄り添える仕事がしたいと考え、大学では運動学、解剖学、生理学等のカリキュラムを履修して知識を蓄え、国家試験に合格。理学療法士として働き始めました。

回復期・リハビリテーション病院のオープニングスタッフとして従事したこともあって、同期が40~60人もいる学生ノリのある職場は楽しく、やりがいのあるものでした。そんなとき担当したのが、60~70代でがんを患っていた男性。腰を骨折したためコルセットを巻いて入院していましたが、末期がんであり、腰のリハビリといっても日に日に転移も進んで痛みも強くなり、リハビリの時間を使ってお話をする、というメンタルケアがメインの仕事となりました。12月時点で年越しできないといわれていましたが何とか年明けまで持ちこたえ、家族に看取られながら亡くなった後、「リハビリに感謝している」と家族の方より言葉をいただきました。病院でのリハビリの限界を感じたわだかまりを解消すべく、訪問リハビリに転向しました。

するとそこでは老々介護の姉妹に出会います。在宅のリハビリは現状維持がメインであり、どうしてもいかに安全に亡くなるか、が目標になってしまいます。そんな中で、ついて回るのは医療や保険などのお金の話。でも寝たきりになってから気づいても、いまさら入れる保険はありません。もっと早い段階で知識を得る手段があればいいけれど、個人の理学療法士が訪問先でお金の話をしたら怪しいだけ。そこで思い出したが、結婚のときに話を聞いた生命保険会社の先輩の話でした。望む施設に行くのにも、必要なサービスを受けるのにも、お金が必要です。お金を準備して未来を守る手助けができるのは、生命保険かもしれない。

理学療法士としての7年のキャリアを捨て、28歳で生命保険会社の営業への転向を決意。周囲からは「せっかくの国家資格がもったいない」「絶対にやめておけ」と言われましたが、気持ちは変わりませんでした。そこからお金の勉強をして、1からキャリアを積み重ね、完全歩合の厳しい外資系保険会社の営業職をまっとうしました。

保険は目に見えず、お試しで使ってみることもできないものです。必要となるのは入院したり亡くなったりしたときで、本当に生命保険で守ることができたのかは、そのときが来ないとわかりません。そこを見届けられない寂しさ、精神疾患に適用できる商材がないこと、生活保護の人たちを救う手段がないことなども見えてきて、また悩み始めたわたし。そんな32歳のある日、異業種交流会で介護事業を手掛けるタクトケアサプライの代表・平野浩希と出会って意気投合。気が付けば、介護事業を手掛けるタクトケアサプライに入社し、介護施設の施設長としてマネジメント業務を担いつつ、ライブクリエイト事業部部長としてさまざまなイベント事業の企画運営を手掛けるようになりました。

介護といえば、「きつい」、「きたない」、「給料安い」の3K。医療・介護業界で働く人はみんなまじめで、そのために自分をないがしろにしがちです。介護のプロでありながら、夢を目指すもう1つの何かのプロでもある。介護というしんどい仕事も続けられるハイブリッドな仕事の仕方があっていい。そんな思いから立ち上げたライブクリエイト事業は、プロの指揮者、ダーツのプロなど、さまざまな業界のプロたちが集まって、介護も夢も本気で取り組んでいます。

わたしの夢はミュージックカフェを開くこと。2024年10月の3日間にはその一つのステップとして、神戸で2000~3000人規模の音楽フェスを開催しました。多様性の時代に、多様な働き方の末にたどり着きたい場所がわたしにはある。悩みながら選んだ道ですが、やっと自分なりの答えを見いだせた気がします。

(構成/岸のぞみ)

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