上田さんショート

2021年、会社員として勤めていた札幌のケーブルテレビ局を辞め、フリーランスへの転身を決めました。

小さな頃からバラエティ番組が好き。番組制作に憧れた僕は、地元北海道のバラエティ「水曜どうでしょう」の影響を受けて企画を考え、友人たちと録音し、ナレーションを入れて編集していました。
大学では、先輩から「文化祭が好きだったなら絶対ここに入ったほうがいいよ」と誘われて演劇研究会へ。卒業後は自分の劇団を持ち、短編作品を軸に演劇活動を続け、2014年には20分ほどの短編演劇祭の全国大会まで進みました。

「札幌のケーブルテレビ局で働いてみないか」
そう知人に誘われたのは、27歳のとき。年齢的にもこのままの生活で良いのか疑問を感じ始めていたので、そこではじめて会社員になりました。
――カメラ1台で、街の小さな情報を届ける。
そんな仕事は、札幌の人と街が好きな僕にはとても向いていたと思います。特に思い出深いのは、札幌の一大イベント「すすきの祭り」の「花魁(おいらん)道中」を生放送で流す番組を担当したこと。自分が主体となって、チーム一丸となって作り上げたことで放送は大成功。上司から「良かったよ」と言われたときは、涙があふれそうになりました。

ところが、コロナ禍で状況は一変。多くのイベントが中止になり、取材はオンラインになってしまった。この状況が長く続くわけではないことはわかっていました。でも、直接人と接する仕事をもっとやりたい。その気持ちを、押さえることはできませんでした。
悩んだ結果、ケーブルテレビ局を退社し、フリーランスになることを決意。テレビ局での経験があれば、フリーランスとしてもきっとやっていけるという自信もついていました。
しかし、とてもお世話になった会社の上司に辞めることを伝えたときの、悲しいとも悔しいとも違う、何とも表すことのできない表情は、いまでもはっきりと覚えています。
――自分は判断を間違えたのではないか……。
一瞬、躊躇しそうになりましたが、覚悟を決め新しい道へと踏み出しました。

「大人の文化祭みたいなことが、俺やっぱ好きなんだよね」
これは、大型特番後の打ち上げでの上司の言葉です。僕もずっと、大人の文化祭がやりたい人生なのだと思います。
フリーになり、いまは模索しながらも直接人に会い、寄り添った映像制作ができています。新しい働き方の中で、さらなる楽しみを見つけていきたいです。

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