池田真也

27歳のとき、画家を目指す道から方向転換し、ゲームのデザイナーになることを決めました。

幼少期は父の仕事の関係で、インドネシアのジャカルタ日本学校に通っていましたが、日本の漫画やゲームが好きで、RPG (ロールプレイングゲーム)で遊びながら、イラストを描いて過ごしていました。

中学校で日本に帰国しましたが、、絵は好きで図工・美術は大得意。中学校のときには美術展で入賞したこともありました。その後は普通高校へ進学し、理系の大学を目指して塾に通う生活へ。
そんな受験勉強も佳境となっていた高校3年生の秋、昔からずっと好きだった絵の道に進みたいという思いが強くなり、周囲には反対されつつも、美大受験を目指す道へと変更しました。

しかし現役では合格できなかったので、1年浪人して東京・立川の美術予備校に通い、美大や芸大のデザイン科を受験するための勉強を続けていました。
そんな中、デザインだけでなく「もっと絵を中心に学べる進路はないか?」と感じていた私は、たまたま試験日の被りがなかった、金沢美術工芸大学の日本画専攻の受験にも「ダメでもともと」とチャレンジ。さまざまな幸運も重なり合格することができました。

受験の結果、東京の美大のデザイン科にも受かりましたがが、「絵を描く」ことをより学べる金沢美術工芸大学の日本画専攻に思い切って進学。日本画の世界は何もわからないところからのスタートでしたが何もかも新鮮でおもしろく、3年生のときに大きな展覧会に応募したところ、金箔の下地を使った着物の女性の絵が入選。日本画の勉強にのめり込んでいくようになりました。

大学院の修了後は、大学で助手や、高校での美術講師など、教員として働きながら展覧会に出品する日々が続きました。教員と作家活動の両立はおもしろくもありましたが、次第に「自分が本当に描きたかったのは日本画だったのだろうか?」と疑問を抱くように。
少しずつ「昔から好きだったゲームのデザインを作る仕事に就きたい!」という思いを強くし、「まずはCG技術を専門的に学ぼう」と27歳のときに仕事を辞め、CG専門学校のデジタルハリウッドに入学しました。

卒業後は紆余曲折あり、なかなか順風満帆とはいきませんでしたが、様々な映像会社やゲーム会社での就業や転職を経験した後、40歳のときに読んだ社長インタビューに惹かれてアイディスへの入社を決意。

『ラストクラウディア』というアイディスオリジナルRPGのイラストチームに配属され、チームのスケジュール管理や外注クリエイター管理などをしつつ、イラスト制作を行う役割に就くこととなりました。
特に、「アーク」という特殊な装備品のイラスト制作では、元となるアイデアや大量の設定の発案から任されるなど、念願でもあるファンタジーな世界観でのイラスト制作の仕事は楽しく、とてもやりがいを感じました。

おそらく普通にゲーム業界に入った人と比べて、何度も寄り道や遠回りをしながら辿り着いた道ですが、いまの時代、やりたいことをやるのに、年齢が足かせになることはないのではないかなと思っています。
それまで学んできたものも何かしら生かせますし、現代は新しくいろいろなことを学ぶチャンスも掴みやすい。
むしろその遠回りで得てきたさまざまな経験や、その過程で身に付けてきた技術や知識が、いまとなっては、他の人にはない「自分の一番の武器」となっている気すらします。

自分は、この年齢でアイディスに転職しいまの仕事に就いたことで、求められることと、自分のやりたいことが「ようやくかみ合ってきた」という感覚があります。
「作ったゲームで多くの人に楽しんでもらえる」という仕事に就け、「ゲームの世界でイラストを描く」という夢も叶いました。

「あのとき方向転換してよかった」といま振り返っても強く実感しています。


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