2019年、新潟県山古志村で風景写真を撮影するため、長岡市に移住しました。
新潟県上越市で生まれ育ち、県内の教育大学を卒業後、2011年から小学校教員として働いていました。学校の広報用の写真を撮ったのが、写真に触れた最初のきっかけです。数年後にフルサイズセンサーのカメラを買ってからは、趣味で風景写真を撮るようになりました。
そうして、新潟県内のいろんな場所に車で出向き、写真を撮っていた流れで、山古志村を訪れました。山古志村は2005年の市町村合併により長岡市に編入合併された村です。2004年の新潟県中越地震でその名が広く全国に知られました。地震のことは記憶にありましたが、僕自身はそれまで一度も訪れたことはありませんでした。
山古志地域は新潟新幹線が停車するJR長岡駅から車で30分程度。一歩村に足を踏み入れると棚田や花畑などの大風景が広がっていますが、まったく人の手が入っていない大自然というわけではなく、人が自然と一緒に生きているのを感じます。
僕はどんどん山古志村に惹かれて、通うようになりました。村のいろいろな場所を歩きながら写真を撮っていると、村の人たちが気さくに話しかけてくれて、この村のことを教えてくれます。
山古志の景色の中では、僕はダントツで冬が好きです。未明の朝焼けの赤と青のグラデーションは冬しか見られないもので、本当に美しいです。
もっと自分なりの表現をしてみたい。もっとこの村に近づきたいと考え、2019年に教員の仕事はそのまま続けながら、当時暮らしていた柏崎市から長岡市に移住することを決めました。
そこからは、早朝に山古志村に行き朝の景色を撮影したあと、往復2時間かけて柏崎市の小学校に通うような生活を続けてきましたが、2021年に小学校教員を退職。小学校教員もやりがいはありましたが、写真で自分の表現をもっと追求したいという思いが強くなったのです。
1年間は何もせず、ただ写真を撮り続けていました。そんな僕を村の人は受け入れてくれた。山古志村は懐の深い村です。
2022年からは地域のNPO法人の職員として「やまこし復興交流館おらたる」で働いています。山古志に住む人たちとの交流はさらに増えました。
撮りたいテーマは日々変化していきます。最初は絵はがきに載るような、棚田など山古志を象徴する写真を撮っていたのですが、村の人と接して話をするうちに、普段の山古志を撮りたい、暮らしの中に溶け込んだ写真を撮りたいと思うようになりました。この村で起こることを、タイミングを逃さず見ていたい。そう思うと、30分の距離さえ惜しくなってきます。
以前は、30分かけて通うからこそ、新鮮な目で変わっていく景色や季節を感じられるメリットを感じていました。でも、もう一段、この村に近づきたい。村の中での暮らしに飛び込んでもいいかなと最近は考え始めています。
新潟県上越市で生まれ育ち、県内の教育大学を卒業後、2011年から小学校教員として働いていました。学校の広報用の写真を撮ったのが、写真に触れた最初のきっかけです。数年後にフルサイズセンサーのカメラを買ってからは、趣味で風景写真を撮るようになりました。
そうして、新潟県内のいろんな場所に車で出向き、写真を撮っていた流れで、山古志村を訪れました。山古志村は2005年の市町村合併により長岡市に編入合併された村です。2004年の新潟県中越地震でその名が広く全国に知られました。地震のことは記憶にありましたが、僕自身はそれまで一度も訪れたことはありませんでした。
山古志地域は新潟新幹線が停車するJR長岡駅から車で30分程度。一歩村に足を踏み入れると棚田や花畑などの大風景が広がっていますが、まったく人の手が入っていない大自然というわけではなく、人が自然と一緒に生きているのを感じます。
僕はどんどん山古志村に惹かれて、通うようになりました。村のいろいろな場所を歩きながら写真を撮っていると、村の人たちが気さくに話しかけてくれて、この村のことを教えてくれます。
山古志の景色の中では、僕はダントツで冬が好きです。未明の朝焼けの赤と青のグラデーションは冬しか見られないもので、本当に美しいです。
もっと自分なりの表現をしてみたい。もっとこの村に近づきたいと考え、2019年に教員の仕事はそのまま続けながら、当時暮らしていた柏崎市から長岡市に移住することを決めました。
そこからは、早朝に山古志村に行き朝の景色を撮影したあと、往復2時間かけて柏崎市の小学校に通うような生活を続けてきましたが、2021年に小学校教員を退職。小学校教員もやりがいはありましたが、写真で自分の表現をもっと追求したいという思いが強くなったのです。
1年間は何もせず、ただ写真を撮り続けていました。そんな僕を村の人は受け入れてくれた。山古志村は懐の深い村です。
2022年からは地域のNPO法人の職員として「やまこし復興交流館おらたる」で働いています。山古志に住む人たちとの交流はさらに増えました。
撮りたいテーマは日々変化していきます。最初は絵はがきに載るような、棚田など山古志を象徴する写真を撮っていたのですが、村の人と接して話をするうちに、普段の山古志を撮りたい、暮らしの中に溶け込んだ写真を撮りたいと思うようになりました。この村で起こることを、タイミングを逃さず見ていたい。そう思うと、30分の距離さえ惜しくなってきます。
以前は、30分かけて通うからこそ、新鮮な目で変わっていく景色や季節を感じられるメリットを感じていました。でも、もう一段、この村に近づきたい。村の中での暮らしに飛び込んでもいいかなと最近は考え始めています。
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