宇土壽和

1980年、ニットアパレル販売会社である株式会社レ・アールへ転職し、「ニット屋になる」と決めたこと。これが私の決断です。

もともと自転車で九州一周をするほどの旅行好き。将来は旅行関連に進みたいと観光学科とホテル学科のある専門学校で観光学科に進みました。卒業後の1971年、海外旅行の会社に入社。旅行の企画ができると思って入社しましたが、実際には海外旅行の手続き代行がメイン業務で、「自分で顧客を取ってこられるなら企画してもいい」と言われたことを機に「蘭の花を視察するタイ・シンガポールツアー」を1人で企画し、蘭の研究者や栽培業者など15人ほどの集客に成功。ところが社内では生意気だと総すかんでした。それなら自分で会社をやろうと23歳で独立し、株式会社CTCを設立、その後、テストラベルという旅行会社の設立にも携わりました。テストラベルの親会社は舞台写真を撮影して販売する事業を営んでおり、テストラベルはバレエや吹奏楽などの撮影のため、カメラマンを派遣することが主な事業内容。当然顧客の中には吹奏楽連盟や合唱連盟の人たちがたくさんいます。そこで、JTBなどの大手旅行代理店では難しい、アマチュア音楽家たちのツアーを企画して販売していました。

ところがそういったイベントは夏休みに開催されることが多く、冬は閑散期に入ります。そこで、冬の仕事を作るために注目したのが「ファッション」でした。当時は全国にブティックができ、マンションメーカーと呼ばれる新進気鋭のデザイナーたちが隆盛を極めていた時代です。アパレル会社や工場オーナーなどファッションのプロフェッショナルたちがヨーロッパのファッション視察に行くためのツアーを企画したところ、好評でよく売れました。そんな中、ファッションデザイナーの島田順子氏との出会いがあり、「日本一は日本中から、世界一は世界中からお客様が来る」という言葉にひどく感銘を受けました。ファッション業界において世界最高峰だったパリでは、「ファッションがビジネスとして最も優れている」と考えられていたことにも驚きました。

ファッションツアーを企画した際の顧客はファッション関係の会社ばかりで、その中の1社から何度もお声がけいただいたことで、「旅行屋」から「ニット屋」に転向したのは、1980年のことでした。異業種への転向に戸惑いましたが、島田氏との出会いを通じてファッションに大きな可能性を感じていたこともあり、転職を決意。右も左もわからない中で人間力だけで営業する日々でしたが、4億円の売り上げを10年で33億円にまで拡大。高度な技術を持つニット職人との出会いもあり、1992年には株式会社ビーエッチエフ・インターナショナルを立ち上げ、2000年に株式会社ユーティーオー(UTO)へ社名を変更。現在、「世界最高グレードの素材」で作った最高級の「日本製カシミヤ糸」を用いてUTO岩手工場の職人が高度な技術で編む「正真正銘メイドインジャパンのカシミヤニット」、そして世界でも稀有でサステナブルな「ニットのカスタムオーダーメイド」を主軸に事業を展開。2024年からは日本のカシミヤニットブランドとしてはじめてロンドンの名門高級紳士服店・ハンツマンでの取り扱いも決定しました。

これまで「無謀」とか「アウトロー」なんて言われながら、成功も失敗もたくさん経験してきた私ですが、紆余曲折の末にたどり着いたこの最高級カシミヤニットの専門店を今後より普及させていきたい。島田氏の言葉に感銘を受け、さまざまなご縁でつながったこの事業をもっともっと世界に広め、大きくしていきたいと考えています。


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