小野塚泰人

2024年1月に地元・新潟市にオーダースーツ事業を展開する株式会社LOSS TIMEを立ち上げたこと。これが私の決断です。

幼少期は野球少年でアパレルとは無縁な生活でした。高校卒業後、木村拓哉さん主演のテレビドラマ『ビューティフルライフ』に影響を受け、「カリスマ美容師になりたい!」と美容室に就職。主にシャンプーや掃除などを担当しながら、帰宅後に通信教育で資格取得の勉強を始めました。ところが、あまりに激務だったこともあり3年で断念。心機一転、得意のスポーツを生かそうとスポーツジムに転職し、ジムのトレーナーとして働き始めました。

日中には主婦やサラリーマンの方々などを指導し、夕方からは小・中学生の指導を担当しました。楽しくやりがいのある仕事でしたが3年目に倒産。その後、スポーツジムの水泳大会が開催されていた会場の近くに紳士服があり、その店に置いてあるスーツがカッコいい!と感じて紳士服のAOKIに転職を決めました。

働いてみると、販売職は未経験ながらも「お客様と話してときにアドバイスする」という仕事内容自体が美容師やトレーナーの仕事と似ていることに気づきます。お客様のことを真剣に考え、不要なものは「買わなくていい」、似合わないものは「似合わない」とハッキリ伝えるようにしていると次第に顧客が増えていきました。3年ほどで店長になり、入社8年目で全国3000人の販売員の中で営業成績ナンバーワンになりました。店長になってからも指名の顧客が多かったため、日中は接客、営業時間外の深夜・早朝にシフトを組むなどの店長業務をこなしていましたが、他の店舗の店長との仕事量の差に唖然としました。その頃、お客様からも「独立しないの?」とたびたび聞かれていたこともあり、38歳で独立を決めました。

といっても最初はAOKI時代のお客様に無償で提供していただいたボロアパートの1室でネクタイを販売するところからのスタート。昼間は配管工として働きながら、17時の終業後にオーダーメイドのネクタイ販売を手掛けるようになりました。オーダーメイドにこだわったのは、本当にお客様が求めているものは量産品にはないと感じていたから。「もうちょっとこうだったらいいのに」と思うものをむりやり売るのは嫌だったので、「すべて納得のいくものを作りたい!」という信念でオーダーメイドにこだわりました。

しかし販売当初はなかなか売れませんでした。安価な量産スーツを望むAOKIの顧客層には既製品より高額なオーダーメイドスーツは価格帯が合いません。かつてのお客様は私に会いに来てネクタイを買って行ってくれますが、スーツは買ってくれませんでした。

そんな中で始めたのが、「セメール小野塚/覚悟を仕立てるスーツ屋」という名義ではじめたInstagramでした。毎日1投稿と決めて、スーツの画像をアップしていきました。フォロワーが爆発的に増えることはありませんが、「1日1投稿」という自分との約束を守り続けられたことは「やればできる」という自信につながり、友人の会社や冠婚葬祭関連会社への売り込みをしたり、異業種交流会にも参加して営業できるようになったりもしました。いまでは全国から出張採寸の依頼もいただけるようになりました。

1年目で配管工の仕事を辞めて本業1本に。2024年は延べ500着のスーツを仕立てました。表地3000種類・裏地300種類から選べる完全フルオーダー制作で、打ち合わせには3~5時間をかけてじっくりヒヤリングしていきます。私はスーツを売っているのではなく、お客様に勇気と希望を、覚悟を仕立てているんだと思っています。「本当にいいんですね?」と何度も確認しながら、3000種類の中から1つ1つ仕立てを決めていく決断力を養っていただいています。実際自分で決めたスーツをカッコよく着こなせることで仕事の仕方が変わり出世されていく人はたくさんいます。

これからも「覚悟を仕立て、自信を纏(まと)い、人生を変える一着」をお客様と作っていきます。


株式会社LOSS TIME ホームぺージ
セメール小野塚/覚悟を仕立てるスーツ屋 Instagram


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