白川典人

父が病気で倒れたことを受け、2002年、家業の大江運送の後継ぎになることを決めました。23歳のことです。

実家は競走馬輸送事業を営んでいましたが、「大江運送の息子」と言われるのが嫌で、幼い頃は後を継ぐどころか事業そのものにもまったく興味がありませんでした。ですが当時から経営や料理に興味があり、経営学・栄養学ともに学べる群馬県の調理師学校に進学し、中華料理を専攻しました。専門学校在学中、20歳の誕生日を機に、健康食品の物販を手掛ける会社を学生起業。卒業後は知人の紹介で社会勉強にと東京の会社に就職し、社長秘書的な総合業務を担当しました。

転機となったのは2002年10月。父が外出先の建物の階段で足を踏み外し転倒。頭を強く打って平衡感覚を失い、検査で脳内出血を起こしていることがわかりました。札幌の入院先を訪れると、父は思ったより元気そうで、いつものように仕事の話を始めました。ちょうど競馬ブームも到来していたときで、業績は絶好調。経営戦略もすべて当たり、父は終始ご機嫌でした。順風満帆で何よりだったのですが、私はこのときの父の満面の笑みがどこか気のゆるみからくる危ういもののように思え、「もしかしたら会社が危ないのかもしれない」という危機感を抱きました。

現状に満足して進化しようとしなくなったら、経営は終わり――。

しかも家族だけで営んでいるわけではなく、従業員もいて、彼らの働きのおかげで食べさせてもらっているのだから、生活を守らなければいけない。

結局このときの危機感が募って、2004年1月、23歳のときに後を継ぐ前提で大江運送に入社しました。案の定、業績も傾いており、ドライバーとして1年半勤務するだけでもたくさんの改善点が浮かんできました。閉鎖的な業界、グレーゾーンな働き方……。関東と関西に拠点を持つ輸送範囲と規模の大きい自社だからこそ、業界を変えるべく先陣を切っていく必要があるのではないかという思いは日に日に強くなっていきました。

専務取締役を経て、2019年に社長に就任。事前の通達はなく、突然内勤者が全員フロアに集められると、先代の父が突然「明日から社長が変わります」と宣言。「いや、手続きとか必要じゃん」と思わず口をついて出たほど、突然の社長交代劇でした。先代はそのまま会長職に退きましたが、翌日からは必要以上には出社せず、経営にもまったく口を出しませんでした。

私は社長交代の手続きを進めながら、さまざまな改革について頭を巡らせました。
まずは従業員に幸せになってもらうために、年収を上げてあげたい。

そのために馬の積載率の改善、燃料価格などの高騰もあり運賃の値上げ、作業時間の効率化などを進めました。その後も保険の完備、食事補助、新たな人材確保の為に単身寮の建設やマニュアルを整備して研修制度を確立したこと、YouTubeやSNSでの発信も積極的に進めたことで「業界を知らない人」「どういう仕事なのかイメージできない人」にも理解が進み、採用もうまくいくようになりました。

2022年にまずは現場ドライバーの年収を上げると宣言して、徐々に待遇を改善しつつあります。法改正によるドライバーの「2024年問題」もあり、再度、健全な経営持続のためにこの4月に大幅な運賃値上げや無理なルートからの撤退を決断しました。適切な運賃をいただき従業員へ還元していく。これからもお客様と従業員の幸せのために邁進していきたいと思います。

(構成/岸のぞみ)
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