須田さんショート

42歳で乳がんを宣告され、医師からはがんのある左乳房の「全摘出」を勧められました。しかし、どうしても摘出の決心がつかず、結果的に温存する方法を選びました。

未婚で娘を出産。1人での育児が大変で娘と実家に戻ったものの、母親との折り合いが悪くストレスフルな状況にあった2018年2月。自覚症状があったわけではないけれど、なんとなく嫌な予感がして自治体の健康診断を受診しました。そして受け取った、乳がん再検査の通知。
細胞診を経て、医師から「悪性の小さなしこりがあります」と言われたときには、「え?私が?」と放心状態になりました。乳がんはテレビドラマや芸能人のニュースで見るものであり、まさか自分の身に起きるとはまったく思ってもいなかったのです。

当時、娘はまだ5歳。
――どうやって乗り越えようか。とにかく生きなきゃ!
いろいろな情報を収集し、勉強を始めました。自分にはどんな治療法がベストなのか、自分で決めたいと思ったのです。
とはいえ、時間の猶予はありません。「手術はいつにするのか」、「どんな手術にするのか」、次々に選択を迫られていきます。自分の命を自分が握っていることを強く感じました。

幸い腫瘍は小さく転移もなかったのですが、医師からは再発のリスクがあるため左胸の全摘出を勧められました。それを聞いた瞬間、「嫌だ!」と思った。
何が正解かわからない。だったら自分の内側から出てくる気持ちを大事にしようと思い、先生に「摘出したくないです」と泣きつきました。先生も改めて検討してくださり、「ゆくゆくは摘出することになるかもしれないけど、温存してしっかり経過観察をしていこう」と言ってくれました。

もちろん再発に対する怖さはありました。でも、摘出しても再発率がゼロになるわけではない。がんを怖がるよりも、仲良く生きていくしかないと考えたのです。「がんと共存しながら生きていく」と決めたのは、私にとって非常に大きな決断でした。

がんの宣告から半年後に部分摘出手術のため入院。手術室に入り、手術台に寝て天井のライトが目に入った瞬間、涙が溢れてきました。
――私、なんでこんなことになっちゃったんだろう……。

がんが発覚して以降、ずっと張りつめてきた気持ちが緩み、そこではじめて悲しさを感じたのでした。
そのまま麻酔で意識が遠のき、目が覚めたときには手術は終わっていました。それから放射線治療とホルモン剤での治療をして、いま5年が経ったところです。

この5年を振り返って改めて思うのは、医師にすべてをゆだねるのではなく、さまざまな情報をリサーチして自ら学び、ベストな方法を自分で選んでいく姿勢が大事だということ。私にとっては温存がベストな方法だったという考えに変わりはありませんし、それを自分の意志で選んで良かったと思っています。

がんは誰もがかかる可能性のある病気で、治療後に元気に生きている方もたくさんいます。がんを宣告されると、どうしても「なぜなってしまったのか」「あのときのあれが良くなかったのではないか」と過去を悔やみがちですが、そうやって気持ちが落ち込むと、免疫力も下がってしまいます。「この先どう生きていきたいのか」「どういう自分でありたいのか」、ぜひ未来を見ていただきたいなと思います。

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