黒羽さんショート

77歳のとき、シニアの和太鼓サークル「邑」に入り、趣味で和太鼓を始めました。

1941年生まれの私が育った時代は、女性は結婚したら仕事を辞めるのが当たり前。でも、私は結婚しても働き続けたいと思っていたんです。女性が長く働ける仕事は保育士(当時の保母)だと考え、保育の専門学校に進学し資格を取得。卒業後は、地元福岡県の保育園で働きました。
そんなとき、横浜市が保育士を募集していることを知りました。それまで九州を出たのは修学旅行くらいで、関東に親戚がいるわけでもない。都会で暮らすことなんてこの機会を逃せばもうないだろうと考えて試験を受けてみたところ合格。
新幹線はまだありませんから、20時間以上かけて寝台列車で1人、横浜に向かいました。21歳のときのことです。

その後、横浜で出会った夫と結婚し、2人の子どもに恵まれました。出産後も保育の仕事を継続できたのは、義母と一緒に住んでいたおかげです。市内の保育園や福祉施設で働き、40代では保育園の園長も務め、48歳からは事務職となり、最後は課長職も経験しました。

そんな私が太鼓と出会ったのは、定年後の76歳のときです。当時、知人に頼まれて臨時で保育園の園長を務めていたのですが、その保育園では保育士が太鼓を習って子どもたちに教えて、運動会で発表することが伝統になっていました。保育士に太鼓を教える講師として保育園に来てくれていたのが、邑の講師の好田(よしだ)先生でした。

実は、市役所で働いていたときにも何度か太鼓の演奏を見たことがあり、そのたびに胸に響く音が素敵だな、楽しそうだな、と思っていたんです。でも、当時50歳くらいでしたから、「もう少し若ければ、私もできたかもしれないのに……」と思って、挑戦することはありませんでした。

76歳でまさか太鼓を叩く機会に恵まれるとは思っていませんでしたが、私も保育士と一緒に太鼓を習いました。すごく楽しかったのですが、臨時の園長だったので、1年でその保育園は離れることに。「残念だな」と思っていたところ、好田先生が邑に誘ってくださったんです。それで、77歳で邑に参加することを決めました。「80歳近い人もいますよ」と聞いていたのですが、行ってみると私が最高齢でした。

邑は横浜市を拠点とする創作和太鼓集団「打鼓音(だこおん)」から派生したシニアチームで、横浜市内の高校で週に1回練習をして、毎年発表会で披露しています。
はじめて練習に参加した日、太鼓の演奏だけでなく、準備や片付け、練習前の挨拶などの礼儀作法すべてが素晴らしいなと感動しました。講師も生徒もエネルギーに満ちていて、皆さんに元気をもらって帰ったのを覚えています。

はじめは練習が夜だったので電車とバスを乗り継いで通っていましたが、途中から昼に変わったため、いまは自転車で通っています。家から学校まで35分。中学時代から自転車通学をしていたので自転車は慣れっこですし、練習前の準備運動としてちょうどいいと思っています。

太鼓のリズムがなかなか覚えられず、苦労しています。でも、何度も何度も練習して、みんなの音が合ったときは嬉しいですし、そうして1曲を演奏し終えたときは感動します。
太鼓にはさまざまな種類があり、最初は長胴(ながどう)太鼓と呼ばれるオーソドックスな太鼓から始めて、横打ち太鼓や締(しめ)太鼓にもチャレンジしていきました。できなかったことができるようになっていくのも喜びです。
発表会の舞台ではただただ必死で、笑顔なんて作れませんが、間違えたときだけは笑顔が出ます(笑)。もう少し余裕を持って常に笑顔で叩けるようになることが目標です。
邑で太鼓を始めて7年目。太鼓は体も使うのでいい運動になりますし、仲間と交流して刺激ももらっています。元気の秘訣は、チャレンジ精神。83歳になりましたが、今後何歳まで太鼓を続けられるのか、挑戦してみたいですね。そんな私の姿を見て、「自分もやってみよう」と思ってくれるシニアの方が増えると嬉しいなと思います。

(構成/尾越まり恵)

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