
29歳のとき、急性骨髄性白血病を発症。つらい入院生活を経て「住み慣れた場所で生きることの大切さ」を強く感じ、2015年に訪問看護ステーション・リハビリテーション事業を立ち上げました。
大学生だった2000年、介護保険制度が創設されたタイミングで、家の近くの地域包括センターのボランティアスタッフとしてはじめて介護に携わりました。もともとおばあちゃん子で、高齢者に関わる仕事がしたいという思いが強く、在学中にホームヘルパー2級の資格も取得。しかし、就活の波に流されて焦りを感じ、卒業後は介護業界ではなく不動産会社に就職しました。それでも、やはり「介護の仕事がしたい」と考えるようになり、3年で退職。老人ホームでアルバイトをしながら、理学療法士を目指して専門学校に進学しました。
ところが、4年生になり石川県輪島市で2カ月間の病院実習を受けていたとき、強い倦怠感に襲われました。2週間近く微熱が続き、実習先の病院で検査を受けたところ大学病院での精密検査を受けるように勧められました。紹介状を持って金沢の大学病院を受診したところ、医師に「すぐに地元の横浜に帰り入院したほうがいい」と言われ、実家へ。母を通じて白血病だと聞かされたときは、「人生終わったな」と目の前が真っ暗になりました。2007年、29歳のときのことです。
そこから、地獄の闘病生活が始まりました。8カ月間の入院生活で4クールの抗がん剤治療を行いました。副作用で胸膜炎になり、呼吸ができないほど苦しい思いもしましたし、41℃の熱が一週間以上続き、朦朧としてトイレで転倒してしまったことで、硬膜下血腫になり、がん治療が止まったこともありました。さらに、うつ病とパニック障害も併発し、精神的にも不安定な状態が続いたため、医療上の判断で、窓の開かない病室に移されました。あまりのつらさに「もう社会復帰は無理だろうな」と思いました。
患者のつらさを身を持って経験した私は、病院のベッドの上でただ治療を受けるだけでなく、住み慣れた場所で「自分らしく生きる」ことの大切さを、心から実感しました。
地獄のような状態から抜け出せたのは、一生懸命看病してくれた母親と家族、友人の支えがあったからです。そして、「絶対に理学療法士になるんだ」という強い思いが、湧き上がってきました。一時は生きる意味を見失った私がつかんだ、小さな希望の光でした。
幸い、抗がん剤治療が効果を示す病型だったため、寛解することができました。
退院後、専門学校に復学して2009年に卒業。独立を見据えて神奈川県の総合病院に就職し、理学療法士として5年間働きながら起業の準備を進めました。
こうした経験を原点に、2015年に株式会社はまリハを設立し、訪問看護ステーション・リハビリテーション事業をスタートしました。
創業から10年が経ち、人のご縁に恵まれながら、現在は横浜と栃木で訪問看護ステーション、放課後等デイサービスセンターの運営、ケアマネジャーのケアプラン作成、福祉用具の販売など幅広い事業を展開、従業員110人以上の会社に成長しました。また、外国人スタッフの採用やカンボジアでの施設立ち上げなどグローバル展開にも力をいれています。
病院勤務の場合、通常、看護師は複数の患者を同時に担当しますが、訪問看護では利用者さんと1対1でしっかり向き合うことができます。そんな訪問看護の仕事にとてもやりがいを感じています。かつて病室で不安と向き合った1人の元がん患者として、これからは支える側として、地域に根ざした訪問看護ステーション・リハビリテーション事業を通じて、1人ひとりの暮らしに寄り添っていきたいと考えています。もし、いま病気で苦しんでいる人がいたら、我慢せず弱音を吐いて、周囲の人に頼ってほしいなと思います。
(構成/尾越まり恵)
大学生だった2000年、介護保険制度が創設されたタイミングで、家の近くの地域包括センターのボランティアスタッフとしてはじめて介護に携わりました。もともとおばあちゃん子で、高齢者に関わる仕事がしたいという思いが強く、在学中にホームヘルパー2級の資格も取得。しかし、就活の波に流されて焦りを感じ、卒業後は介護業界ではなく不動産会社に就職しました。それでも、やはり「介護の仕事がしたい」と考えるようになり、3年で退職。老人ホームでアルバイトをしながら、理学療法士を目指して専門学校に進学しました。
ところが、4年生になり石川県輪島市で2カ月間の病院実習を受けていたとき、強い倦怠感に襲われました。2週間近く微熱が続き、実習先の病院で検査を受けたところ大学病院での精密検査を受けるように勧められました。紹介状を持って金沢の大学病院を受診したところ、医師に「すぐに地元の横浜に帰り入院したほうがいい」と言われ、実家へ。母を通じて白血病だと聞かされたときは、「人生終わったな」と目の前が真っ暗になりました。2007年、29歳のときのことです。
そこから、地獄の闘病生活が始まりました。8カ月間の入院生活で4クールの抗がん剤治療を行いました。副作用で胸膜炎になり、呼吸ができないほど苦しい思いもしましたし、41℃の熱が一週間以上続き、朦朧としてトイレで転倒してしまったことで、硬膜下血腫になり、がん治療が止まったこともありました。さらに、うつ病とパニック障害も併発し、精神的にも不安定な状態が続いたため、医療上の判断で、窓の開かない病室に移されました。あまりのつらさに「もう社会復帰は無理だろうな」と思いました。
患者のつらさを身を持って経験した私は、病院のベッドの上でただ治療を受けるだけでなく、住み慣れた場所で「自分らしく生きる」ことの大切さを、心から実感しました。
地獄のような状態から抜け出せたのは、一生懸命看病してくれた母親と家族、友人の支えがあったからです。そして、「絶対に理学療法士になるんだ」という強い思いが、湧き上がってきました。一時は生きる意味を見失った私がつかんだ、小さな希望の光でした。
幸い、抗がん剤治療が効果を示す病型だったため、寛解することができました。
退院後、専門学校に復学して2009年に卒業。独立を見据えて神奈川県の総合病院に就職し、理学療法士として5年間働きながら起業の準備を進めました。
こうした経験を原点に、2015年に株式会社はまリハを設立し、訪問看護ステーション・リハビリテーション事業をスタートしました。
創業から10年が経ち、人のご縁に恵まれながら、現在は横浜と栃木で訪問看護ステーション、放課後等デイサービスセンターの運営、ケアマネジャーのケアプラン作成、福祉用具の販売など幅広い事業を展開、従業員110人以上の会社に成長しました。また、外国人スタッフの採用やカンボジアでの施設立ち上げなどグローバル展開にも力をいれています。
病院勤務の場合、通常、看護師は複数の患者を同時に担当しますが、訪問看護では利用者さんと1対1でしっかり向き合うことができます。そんな訪問看護の仕事にとてもやりがいを感じています。かつて病室で不安と向き合った1人の元がん患者として、これからは支える側として、地域に根ざした訪問看護ステーション・リハビリテーション事業を通じて、1人ひとりの暮らしに寄り添っていきたいと考えています。もし、いま病気で苦しんでいる人がいたら、我慢せず弱音を吐いて、周囲の人に頼ってほしいなと思います。
(構成/尾越まり恵)
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