1年ほどの不妊治療を経て、夫婦で話し合い、養子縁組について検討を始めたネルソン聡子さん。血のつながりについては、どのように考えていたのだろうか。
「私にとって大きかったのは、以前保育園で働いていた経験です。保育園で接した子どもたちは、自分の子どもではなくても、すごくかわいかった。その経験があったから、養子縁組に対して特別な抵抗を感じることなく検討していくことができたのだと思います」
ISSJ(社会福祉法人 日本国際社会事業団)という国際養子縁組の斡旋団体に問い合わせてオリエンテーションを受けたり、児童相談所に問い合わせたりして情報を集めた。
「日本の養子縁組を利用しても良かったのですが、私が日本人で夫がアメリカ人なので、多様な家族もいいよねと話して、国際養子縁組についても検討しました」
養子縁組の制度は、さまざまな事情で子どもを育てられない親のもとに産まれた子どもが養育を受けられることを目的に作られた制度だ。特別養子縁組の場合は、法的に生みの親との法的な親子関係を解消し、育ての親と戸籍上も親子になる手続きが行われる。あくまでも子どもの幸せのための制度である。
検討を進めていたとき、フィリピン人の夫の母親が、フィリピンにいる遠い親戚の中に、養子を希望している家族がいると知らせてくれた。
ちなみにフィリピンでは、三世帯同居は当たり前で、親戚も含め大家族で暮らすことも多いという。
「家族の概念が、日本より広いんですよね。その家族の場合は、すでに3人の男の子がいて、そこに娘が生まれたそうです。母親は子育てがあるため働いておらず、父親の給料もそんなに高くない。生活が苦しい中で、どうしても男性以上に将来の選択肢が少なくなってしまう女の子には、できればきちんとした教育を受けて育ってほしい。信頼できる人に預けたいと望んでいました」
その家族が住んでいたのはフィリピンの地方都市で、Wi-Fi環境が整っておらず、近隣の家の人の電波を借りながら生活するような状況だった。
2022年8月、夫の母親がセッティングしてくれて、はじめてFacebookのMessenger(メッセンジャー)アプリを使って母親と顔を合わせた。フィリピンの母語はタガログ語だが、母親は英語が話せたため、英語で会話ができた。
「当時まだ生後7カ月の娘さんを、まずは本当に養子に出して良いのですか? という意思確認をさせてもらいました。そして、こちらからは養子として引き受けさせてもらえるならば、嬉しいし光栄だし、しっかり育てていきますと伝えました」
その会話の途中でも、電波が悪く、通話は何度も途切れた。幾度もつなぎ直し、お互いに意思確認をした。
母親も「血縁関係はなくても、まったくの他人ではなく、信頼できる知り合いから紹介していただいた方に託せるのは嬉しい」と言った。
そして、このとき、聡子さんははじめて画面越しにシンシアちゃん(仮名)の顔を見ることになる。
「もう、心を撃ち抜かれましたね。本当に、恋に落ちたような感覚でした。かわいいな、と思いました」
こうしてお互いに意思確認ができたところで、実際に日本に養子に迎える手続きに着手することになった。
養子縁組が成立「ここからが本当のスタート」