高校を卒業後、サッカー選手になるために、埼玉県さいたま市を拠点にする女子サッカーチーム「浦和レッズレディース」(現:三菱重工浦和レッズレディース)に加入しました。これが私にとって人生で最も大きな決断です。
三菱重工浦和レッズレディースは、2020年に設立された女子サッカー初のプロリーグ「WEリーグ(日本女子プロサッカーリーグ)」に加盟しているチームです。WEリーグが設立される前、なでしこリーグに加盟していた2011年に私は浦和レッズレディースに加入し、いまはチームのキャプテンを務めています。
小学校を卒業後、鹿児島県いちき串木野市にあるサッカーの強豪校、神村学園中等部に進学。福岡県北九州市の親元を離れ、寮生活を始めました。当時12歳だった私には迷いも不安もなく、ただ、「サッカーをしたい!」と考えての選択でした。
親は心配していましたが、当の本人はホームシックになることもなく、ひたすらサッカーに熱中する毎日を送りました。小学生のチームではFW(フォワード)のポジションに着くこともありましたが、中学からはずっとMF(ミッドフィルダー)です。
中高一貫校なので、そのまま神村学園高等部へ。卒業後はサッカー部の仲間たちの多くが大学に進学し、大学でサッカーを続ける道を選びました。でも、私は大学に進むのではなく、国内トップリーグの強豪チームでプレーしてみたい、と考えました。
当時はまだ女子サッカーにプロリーグはなく、選手たちはみんな働きながらサッカーを続けていました。たまたま浦和レッズレディースからお声がけいただき、練習生として練習に参加。それをきっかけに浦和レッズレディースに加入することを決めました。
浦和レッズレディースの練習は、高校までの練習とは雰囲気もレベルもまったく違っていました。高校はメンバー同士の歳の差は3年ですが、社会人チームとなると、メンバーの年の差も大きく、10歳上の選手もいます。強い選手ばかりで、ついていくのに必死でした。
私が加入した2011年は、澤穂希選手がキャプテンを務めるなでしこジャパンがFIFA女子ワールドカップで優勝した年です。大きなフィーバーとなり、多くの人に女子サッカーを知ってもらえるきっかけになりました。ワールドカップの後は試合に来てくださるファン・サポーターの方も増えました。
この年、私はAFC U-19女子選手権に出場し、優勝することができました。翌2012年にはFIFA U-20女子ワールドカップに出場。日本開催ということもあり注目を集め、3位決定戦にはたくさんの方が来てくれて、いまでも印象に残っている試合の1つです。
その後の転機は、2020年に初のプロリーグとしてWEリーグが設立されたことです。ここから私はプロサッカー選手になりました。「プロになる」ということは、正式にサッカーを仕事にするということです。責任感も増しましたし、リーグのあるべき姿なども考えるようになりました。応援してくださる方のおかげで、自分はサッカーを仕事にできているのだと常に思っています。
ゲームは一瞬一瞬、流れが変わっていきます。局面ごとの駆け引きがサッカーの魅力だと思います。瞬時に判断しながら、相手チームと駆け引きをするのが楽しいですね。もちろんその判断がすべて成功するとは限りません。でも、うまくいかないこともまた楽しい。そう思えるから、サッカーを続けられているのだと思います。
レッズレディースは2023年、2024年とリーグ優勝を果たしました。90分の試合の中には、ピンチになるときもあります。その時間をどう過ごすか、メンタルの保ち方がすごく大事になります。勝つためのメンタリティを備えている選手が多いことがレッズレディースの強さだと思います。「心技一体」という言葉がありますが、本当にその通りだと思います。
いまでこそ強いチームになったレッズレディースですが、ずっと勝てていたわけではありません。負けていた時代もあったからこそ、勝てる喜びをいまかみしめています。
勝った試合であっても、簡単だった試合は1つもありません。大げさな言い方かもしれませんが、常に極限の状態で戦っています。その積み重ねの先に、優勝があるのだと思っています。勝ち続けることは本当に難しいことです。
私は幸運なことに、好きなことを仕事にすることができました。先のことはまだ分かりませんが、もしサッカーから離れることがあっても、自分の好きなことをずっと仕事にしていけたらいいなと思っています。
(文/尾越まり恵、特記のない写真/齋藤海月)
三菱重工浦和レッズレディースは、2020年に設立された女子サッカー初のプロリーグ「WEリーグ(日本女子プロサッカーリーグ)」に加盟しているチームです。WEリーグが設立される前、なでしこリーグに加盟していた2011年に私は浦和レッズレディースに加入し、いまはチームのキャプテンを務めています。
12歳で親元を離れ、サッカーの強豪校へ
サッカーを始めたのは、4歳のときです。もともと父がサッカーをしていた影響で、3歳上の兄が小学校入学と同時に地元のクラブチームでサッカーを始めたんです。私も兄の練習について行くようになりました。男女混合で練習をしながら、週末は女子チームの試合に出場。サッカーは楽しくて好きでしたが、一方で毎日練習があったので、「雨が降って練習が休みにならないかな……」というのは少し思ったりしていましたね。小学校を卒業後、鹿児島県いちき串木野市にあるサッカーの強豪校、神村学園中等部に進学。福岡県北九州市の親元を離れ、寮生活を始めました。当時12歳だった私には迷いも不安もなく、ただ、「サッカーをしたい!」と考えての選択でした。
親は心配していましたが、当の本人はホームシックになることもなく、ひたすらサッカーに熱中する毎日を送りました。小学生のチームではFW(フォワード)のポジションに着くこともありましたが、中学からはずっとMF(ミッドフィルダー)です。
中高一貫校なので、そのまま神村学園高等部へ。卒業後はサッカー部の仲間たちの多くが大学に進学し、大学でサッカーを続ける道を選びました。でも、私は大学に進むのではなく、国内トップリーグの強豪チームでプレーしてみたい、と考えました。
当時はまだ女子サッカーにプロリーグはなく、選手たちはみんな働きながらサッカーを続けていました。たまたま浦和レッズレディースからお声がけいただき、練習生として練習に参加。それをきっかけに浦和レッズレディースに加入することを決めました。
U-20の日本開催ワールドカップで3位
2011年、私は埼玉県の浦和に足を踏み入れました。九州以外の土地で暮らすのは、人生ではじめての経験です。駅に着いた瞬間に、浦和レッズの旗や選手たちのポスターが目に飛び込んできて、「サッカーの街に来たな!」と実感したのを覚えています。浦和レッズレディースの練習は、高校までの練習とは雰囲気もレベルもまったく違っていました。高校はメンバー同士の歳の差は3年ですが、社会人チームとなると、メンバーの年の差も大きく、10歳上の選手もいます。強い選手ばかりで、ついていくのに必死でした。

高校時代に浦和レッズレディース(当時)に声をかけられ、練習に参加したことから加入を決意
私が加入した2011年は、澤穂希選手がキャプテンを務めるなでしこジャパンがFIFA女子ワールドカップで優勝した年です。大きなフィーバーとなり、多くの人に女子サッカーを知ってもらえるきっかけになりました。ワールドカップの後は試合に来てくださるファン・サポーターの方も増えました。
この年、私はAFC U-19女子選手権に出場し、優勝することができました。翌2012年にはFIFA U-20女子ワールドカップに出場。日本開催ということもあり注目を集め、3位決定戦にはたくさんの方が来てくれて、いまでも印象に残っている試合の1つです。
その後の転機は、2020年に初のプロリーグとしてWEリーグが設立されたことです。ここから私はプロサッカー選手になりました。「プロになる」ということは、正式にサッカーを仕事にするということです。責任感も増しましたし、リーグのあるべき姿なども考えるようになりました。応援してくださる方のおかげで、自分はサッカーを仕事にできているのだと常に思っています。
一瞬一瞬の駆け引きがサッカーの魅力
サッカーを始めてもう30年近くが経とうとしています。振り返ってみても、サッカーを続けてきて良かったなと思います。もし高校生のときに、浦和レッズレディースに声をかけてもらえていなかったら、サッカーを続けていなかったかもしれません。ゲームは一瞬一瞬、流れが変わっていきます。局面ごとの駆け引きがサッカーの魅力だと思います。瞬時に判断しながら、相手チームと駆け引きをするのが楽しいですね。もちろんその判断がすべて成功するとは限りません。でも、うまくいかないこともまた楽しい。そう思えるから、サッカーを続けられているのだと思います。
レッズレディースは2023年、2024年とリーグ優勝を果たしました。90分の試合の中には、ピンチになるときもあります。その時間をどう過ごすか、メンタルの保ち方がすごく大事になります。勝つためのメンタリティを備えている選手が多いことがレッズレディースの強さだと思います。「心技一体」という言葉がありますが、本当にその通りだと思います。
いまでこそ強いチームになったレッズレディースですが、ずっと勝てていたわけではありません。負けていた時代もあったからこそ、勝てる喜びをいまかみしめています。

WEリーグ設立と同時にプロサッカー選手へ。責任感が強くなった(©URAWA REDS)
勝った試合であっても、簡単だった試合は1つもありません。大げさな言い方かもしれませんが、常に極限の状態で戦っています。その積み重ねの先に、優勝があるのだと思っています。勝ち続けることは本当に難しいことです。
私は幸運なことに、好きなことを仕事にすることができました。先のことはまだ分かりませんが、もしサッカーから離れることがあっても、自分の好きなことをずっと仕事にしていけたらいいなと思っています。
(文/尾越まり恵、特記のない写真/齋藤海月)
柴田華絵(しばた・はなえ)
女性サッカー選手/三菱重工 浦和レッズレディース所属
1992年、福岡県北九州市生まれ。兄の影響で4歳からサッカーを始め、鹿児島県いちき串木野市にあるサッカーの強豪校、神村学園中等部・高等部を卒業。2011年に浦和レッズレディース(現・三菱重工浦和レッズレディース)に加入。2011年のAFC U-19女子選手権では、韓国戦で得点を挙げ、日本の優勝に貢献。現在はチームのキャプテンを務める。