戸松裕登

32歳のとき、「子どもに継がせたいと思える会社や業界にしたい」と考えるようになりました。

姉2人の末っ子長男で、父は私を家業である丸菱製作所の3代目のアトツギとして育てようとしていましたが、会食やゴルフなどで家を空けることも多く、私にとって、家業はどこか距離のある存在でした。それに母が「会食とゴルフをしない旦那さんを選ぶのよ」と姉たち言い聞かせているのを聞いていたこともあり、会社を継ぎたいとは考えていませんでした。

早稲田大学教育学部に進学しましたが、留年をきっかけに家に戻ることになり、これまで仕事の話をしてこなかった父と向き合うことになりました。会話の中で父は、「会社を経営することの面白さ」を、はじめて語ってくれました。「会社の中で正しさを決めるのは経営者である」「うちはすごいものを作っている」。父の言葉を聞くうちに、家業に興味を持つようになり、卒業後、丸菱製作所へ入社しました。

丸菱製作所は三菱電機の特注案件を中心にエレベーターのフレームを作ってきた鉄工所です。大手企業に必要とされる仕事を続けてきたことは大きな誇りでもあった一方で、入社後はリーマン・ショックの影響で仕事量が大きく減少し、エレベーターの技術営業、生産管理・品質管理などを担当していましたが、土日に加えて金曜も休業にせざるを得ないような状況でした。

当時は「アトツギが入ってきたら業績が悪くなった」だとか「疫病神が入社してきた」など社員からの厳しい声もありました。しかし、既存の社員が苦手としている分野に向き合いシステムや生産体制の改革を行い、2018年3月には過去最高益を達成しました。ところが翌年には米中貿易摩擦が発生。工作機械の需要が激減し、付き合いの古い協力会社の社長からは「この設備が壊れたら事業をやめる」と言われました。

急に仕事が減り、受注があっても続くかどうかは不透明な状況で、30年先に元を取る投資はできない、というのがその理由でした。ふと社内を見渡してみると、状況は同じでした。

この頃長男が誕生し、周囲からは「4代目ができた!」と言われるようになりました。でもどうしてか、そう言われることに喜ぶことはできませんでした。気づけば父と同じ働き方をしている自分に気づきました。家業を継ぎたいかどうかは息子次第。自分が事業を継ごうと思ったのは父親の熱意があったからでした。だとしたら、息子が継ぎたいと思える仕事にしたい。そのためにすべきことは何なのかを考えました。

お客様のおかげで自分たちは成長することができましたが、そこに依存してしまうことは危険です。自分たちの存在意義は「技術」です。いままでの営業活動は主に銀行の紹介、展示会への出展でしたが、新たな依存先を探す側面がありました。日本のものづくりは繁閑の差が大きいため、徒に顧客を増やすことも危険です。空いているときに技術を売り、忙しいときにスポットで仕事を依頼できるプラットフォームができたら経営の安定につながるのではないかと感じました。お互いにモノをシェアする「メルカリ」や、デザイナーが技術を売る「ココナラ」の仕組みを参考にしました。

あのへんに工場があるなと知っていても仕事の頼み方がわからなければ依頼はできません。もっと手軽に、繋がりを持てたら――。そんな思いを形にしたのが「ASNARO(あすなろ)」です。自分で要件定義を行い2022年3月にサイトをオープンしました。ところが当初はWEBマーケティングのみに頼っていたため、アクセス数は多いのに誰も登録してくれませんでした。

また、システムと聞くと「俺たちをダシにして儲ける気では?」と疑念を持つ方も多くいました。そのため「業界をよくするための仲間になってください!」という口説き文句で1社1社直接回った結果、初年度に登録者数100社を達成。2023年夏頃に登録社数が200を超えた頃から「面白いね」と言われるようになり、4年1000社を達成しました。

2024年に社長に就任。ミッション・ビジョン・バリューも変えてきました。お客様の価値に依存したままだと自身の価値を見出せなくなってしまう。業界全体に一石を投じるためには全国に拡大させていきたいですし、伝統工芸にも応用したい。これからも継がせたいと思える会社、業界にすべく新しい枠組み作りに挑戦していきます。

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