すらりとした長身と、歯に衣着せぬ言動。どこか近寄りがたい雰囲気から一転、会話を始めると、ギャグを連発し、あっという間に周囲を笑いで包み込む。そのうち、面倒見の良さや母性のようなものが垣間見えてくる。関口和枝さんは、いくつもの顔を持つ。
お客さんを笑顔にして、結果的に自分も笑顔になる
東京・中目黒の駅から徒歩10分ほどの大通り沿いに、カウンター8席の小さなBARがある。和枝さんの1つ目の顔は、「にこバー」のオーナーだ。
知人から「中目黒の物件が空くんだよ」と声をかけられたのが2019年。
「内装を見せてもらったら、アール・デコスタイルの壁が素敵で気に入ったんですよね。居抜きでそのまま使えるので、初期費用もそんなにかからない。何より、お客さんの顔がよく見えるラウンド型のカウンターがすごくいいな、と思いました」
訪れるお客さんたちを笑顔にしたい。そう願い、店名は「にこバー」と名付けた。
ただ、周囲からは反対の声も多かったという。
「おまえ、客を呼べるのか、飲食店経営はそんなに甘くないぞ、とさんざん言われましたね。人って本当に簡単に人を否定するんですよ。やってみなよ、と言ってくれた人は1人もいませんでした」
ところが7月にオープンすると、前職の知り合いなど、友人がたくさん来てくれた。
「私、離婚しているんですが、驚いたのが元夫の友人が何人もお店に来てくれたんです。普通、別れたらその友人たちとは関係が切れるじゃないですか。でも、離婚したあと、『和枝ちゃんががんばってるって聞いて応援したくて、これからも飲みに来るよ』って言ってくれた。
にこバーのお客様は9割が友人、自分の人生の結果がここに集まっているんだな、と。そんなことをこのお店が教えてくれました」
BARに訪れた和枝さんの友人同士がつながり、プライベートな付き合いが始まったり、新たなビジネスが生まれたりすることもある。
「1日疲れて帰ってきて、にこバーに来て、みんなに“にこにこ”してもらえたらいいなと思っていたんです。でも、やってみたら逆なんですよ。私がみんなに笑顔にしてもらっています。
本当に自分は愛されているし、見てくれている人はちゃんといるんだなと教えてもらいました。
だから最近は自分も相手に『ちゃんと見てるよ』と伝えようと思うようになりました。『好きだよ』ってすぐ言いますね(笑)。あと、『知ってるよ』というのも大事ですよね。『今日誕生日でしょ』『独立したんでしょ、知ってるよ』って。見ていてくれる人がいるって嬉しいじゃないですか」
たまたま通りがかってにこバーを訪れて以来、常連客となったえいこさんは、次のように話す。
「プライベートでも仕事でもあまりいいことがなくて、飲み足りないなと思って、1人でふらっとお店に入ったんです。そうしたら、和枝さんが笑顔で私の話を聞いてくれました。『またいつでも来てね』と言ってくださったのがうれしくて、そこから通うようになりました。お店で会う常連さんもみなさん温かくて、にこバーは私にとって第2の実家のような存在です」(えいこさん)
コンテンツ制作の仕事を経て法人化
和枝さんのもう1つの顔は、ITコンサルタントだ。20代の頃から、ITの業界で長くコンテンツ制作に携わってきた。
「最初の仕事は、『東京ウォーカー』のWEB版の制作でした。雑誌に掲載されているお肉やプール、花火などの写真をひたすらトリミングしてアップして、文字原稿をチェックする。そのうちiモードが登場して、プログラマーと2人で、ゲームを作って出品するようになりました。携帯電話の進化とともに、コンテンツを提供する仕事をずっと続けています」
30代ではコンテンツ配信会社に転職し、PM(プロジェクトマネージャー)としてイベント企画などを請け負った。当時、同じ会社で働いていた後輩のあすかさんは、和枝さんの仕事ぶりを次のように振り返る。
「どんな企業でも、ある程度上司の顔を伺ったり、忖度(そんたく)したりすることがあると思うのですが、和枝さんは、それがまったくない。例えば、会社の方針で決まったことが、スケジュールや仕組みなどさまざまな問題で現場に負荷が多すぎることもある。そんなときは臆せず上司や社長に問題提起をしていました」(あすかさん)
その後、芸能プロダクションなどを経て2019年5月に合同会社にこを設立。いまは企業からホームページ制作やITコンサルティングなどを請け負っている。
「コンテンツ制作を通して会う人は、音楽でも映画でもゲームでもキャラクターでも、みんな物を大事にしているし、大切に届けたいと考えています。そんな信念を持つ人たちと会えたことが、一番の財産ですね。20代の頃、一緒に働いていた人たちはみんなもう50代になっているけれど、いまだに遊び心を持っていて素敵だなと思います」
にこバーより2カ月早く立ち上げた法人の「にこ」という社名にも、「自分が提供するコンテンツやサービスによって、お客さまが笑顔になり、事業がずっと続くように」という思いが込められている。
夫選びは失敗、だからまた自分で選び直す
そして、和枝さんの3つ目の顔は、高校生の息子を持つ、シングルマザーだ。20代後半に結婚し、30歳で出産した。
「幸せな結婚をしたつもりだったのですが、私が求めている結婚生活と、夫が求めている結婚生活が違っていたんです」
出産後、子どもの将来設計に熱心だった和枝さんは、生活レベルを上げるために仕事に打ち込み、時間に追われる毎日を過ごした。
「お金がなかったから、雨の日も台風の日も、電動自転車の後ろに息子を乗せて保育園の送り迎えをしていました。電池が切れるとすごく重くて動かなくなるから、もう地獄ですよ」
そんな中、借金、女遊び、酒癖の悪さ……夫は問題を起こし続ける。そのたびに和枝さんの心は夫から離れていった。
「最初は、味方をつけようと思うんだよね。だから、いろんな人に夫の悪口を言って、長電話する。そうすると、発散できるじゃない。でも、状況は何も変わらない。
そのうち、聞いてくれる人も飽きてくるんですよ。それで、最終的には『あなたが選んだんでしょう』ってまとめられちゃう。それを言われたら、もう文句を言う気もなくなる。だったら、私がまた違う道を選べばいいだけだな、と考えるようになりました」
最終的に離婚を決めたのは、息子が小学校2年生のとき。
「小学校に入った頃から、国から支給される子育て支援金も、夫が使い込むようになっていました。そんなある日、息子の運動会に、前の日に飲みすぎた夫が寝坊して来なかったんです。あぁ、この人はもう子どもに対して、まったくお金も時間も使わないんだな、と。子どものために離婚を決めました」
以来、和枝さんは1人で息子を育ててきた。
芸能プロダクション時代は離婚して間もなく、転職後すぐだったこともあり仕事で帰れないことも多かった。前職のコンテンツ制作会社で後輩だったあすかさんは、バスに乗って通い、子どもの面倒をみてくれたという。
「コンテンツ配信会社の時代は、和枝さんは昼間全力で仕事して、17時になると猛ダッシュで保育園のお迎えに行く。家でも仕事をしていて、すごく頑張っているママだなと思って見ていました。
その後、芸能プロダクションに転職すると、業界的にも時代的にも、24時間365日稼働するような環境でした。土日や祝日など、人が休みのときほどイベントがあり忙しい。
日曜や夜遅い時間は、子どもを預けられる場所がありません。それで、私が息子さんとお留守番をしていたのですが、そんなときでも必ず手作りのご飯を作り置きしておいてくれるんです。どんなに忙しくても、和枝さんが子どものことをとっても大事に思っていることが伝わりました」(あすかさん)
中学卒業後に専門学校へ通っていた息子に手作りのお弁当を毎日作り続けた和枝さん。
「卒業前に最後のお弁当を息子に渡したのね。『今日最終日なんだけど』って息子に言ったら、『だから何』って言うのよ。『寂しいとか思わないの?』と言うと、『今までありがとうとか言ってほしいわけ?』って。『えー、ここ泣く場面じゃない?』『泣かねーし』みたいな。小学校4年生くらいから中学卒業までほぼ不登校だったので、もうその会話ができていることが、幸せなことだな、と思ったんですよね」
思春期に息子が暴れたり、学校でいじめにあったりと、子育ては決して楽ではなかった。離婚を心から後悔した日もある。
「それでも、これが私の選択。あのときこう選択したよね、楽しかったよねということを積み重ねていくしかないから。間違ったら、じゃあこっちにしよう、とまた選び直せばいいだけだと思っています」
結婚、離婚、法人設立、BARの開店……1つ1つの選択がいまの和枝さんにつながっている。
(文・尾越まり恵)プロフィール
関口和枝
合同会社にこ 代表社員
1976年、東京都世田谷区出身。17歳で親元から独立し、アルバイトで生計を立て高校を卒業。大手出版社の子会社、ゲーム会社起業、東証一部上場企業、音楽芸能事務所などを経て現在は3足の草鞋を履く経営者。
離婚後10年の間に都内でマンション購入、合同会社設立、バーの経営、オリジナルコスメの販売、船舶免許の取得など精力的に自分を生きる息子フェチ。
「人はスタート地点でどうしようもなく無力な選択を与えられる場合があります。ただ、『人はみな、自らの学びと選択で美しくあれる』という信念が伝われば何よりです」