
私の決断は、25歳のとき、もう一度オペラに挑戦するため東京での生活を始めたことです。
遠足のバスの中で歌ったり吹奏楽のクラブに入ったりと、幼い頃から音楽が好きな子どもでした。中学ではハンドボール部に所属していましたが、音楽の先生から「声がいい」と褒められ、中学3年生のときには「合唱部に男子がいないので助っ人で入ってほしい」と頼まれてコンクールに出場。結果、県大会・四国大会で金賞、全国大会では東京まで遠征して銅賞を獲得することができました。その後、秋のコンクールにも出場しないかと誘われて「帰れソレントへ」を歌い、県大会で銅賞を受賞しました。
この経験から音楽学校に進学したいと考えた私は、受験までの4カ月間に5教科の学科試験はもちろんのこと、歌唱技術、楽典、ピアノ演奏などを猛勉強・猛特訓し、見事音楽高校に合格しました。1クラス40人のうち男性は6名ほどでしたが、声楽の勉強はおもしろくてのめりこみ、レッスンを担当してくれていた声楽の先生が出演するオペラ「トスカ」のビデオを見たことでオペラにも夢中になりました。
大学は東京音楽大学声楽演奏家へ選抜され男子で唯一進学することに成功。大学卒業後は「音楽で生計を立てたい」と東京にあるオペラ振興会に入って勉強しながら2週間のイタリア留学などにも挑戦しましたが、「それでは食べていけない。香川に帰ってきてほしい」と両親から言われ、「これ以上、迷惑はかけられない」と、23歳でオペラ振興会を退会し、地元に戻ることを決めました。
香川に戻ってからは派遣会社に登録し、パソコン好きを生かしてKDDIの関連会社で事務員として働き始めました。香川にもオペラ団体があり、高校時代の恩師も所属していたことから私もプライベートでオペラを続け、大きなホールでオーケストラと共演したり、3カ月に1度は東京在住の師匠のもとへレッスンに通ったりしていましたが、香川県におけるオペラの公演機会はごくわずかで、「このままでは歌い手として成長できない」と焦りが募っていきました。
「やっぱりオペラを続けたい、本格的に舞台に立ちたい」「これは東京に行く最後のチャンスなのではないか」という思いを強くした私は、勤めていた会社が倒産したことを機に職業訓練校へ通い始めました。夢を追うためには生活基盤も不可欠です。ITスキルを生かせる仕事を探す中で東京のIT会社、アドックインターナショナルと出会い、就職を決めました。社長からは「2年間はオペラはやるな、すぐにオペラを始めたら業務もオペラも中途半端になる」と言われ、私もそれに納得して約束通り2年間は業務に集中。27歳からオペラを再開しました。
最初はアマチュアの団体で歌っていましたが、2015年にオペラ団体の二大巨頭ともいわれる藤原歌劇団に入団。同時に市民団体のオペラにも所属して歌ったり、知り合いのつてでステージに出演したりオーディションを受けたりする生活が始まりました。
あれから20年。現在では昼はベテランエンジニアとしてのスキルと自信・生活基盤を持ち、夜はオペラの舞台で主役を張る。そんな二足の草鞋で充実した生活を送っています。あのとき、社長と約束していなかったらうまく両立することができず、いまの生活はなかったでしょう。オペラを再開するために必死にがんばった2年間、2年経って「オペラを再開したい」と申し出たとき、「顔つきが変わったね」と周囲に言われ、技術と経験を認められるようになっていました。
今後はバリトン歌手としての活動の他にも、演出や舞台制作にもチャレンジしていきたいと思っています。現代劇にするのか、古典にするのかも決まっていませんが、いまからとても楽しみです。これからも趣味に仕事に、全力を尽くしていきたいと思います。
(構成/岸のぞみ)株式会社アドックインターナショナル ホームぺージ










