2023年9月、27歳のときに会社を辞めて、自由気ままに旅をしようと決めました。
「周囲に合わせなくても良い、私が私の頭で考えた理想の人生観をもとに、より豊かな人生を送れるような努力をしていこう」
そう考えて、ひとまず会社という1つの輪から離れ、旅に出ることにしたのです。
大学を卒業後、関心のあった福祉関係の会社に入社しました。発達障害のある子どもから大人までの療育支援を担当。直接的に人の支えになることが実感できる、とても社会的意義のある仕事でした。同期や先輩・後輩、上司にも恵まれ、有意義な会社員生活を送っていたつもりでした。
ですが、2年ほどが経過したとき、その会社で働き続けた先にある自分の立ち位置や役職がハッキリと想像できてしまったのです。
「このまま頑張れば、現在の〇〇さんの立ち位置に就き、責任と給料が比例して伸びる」
「いわゆる『安定した生活』が送れるのではないか?」
当時の私にとって、その道は少し窮屈に感じました。だからといって明確な将来像もなければ、対処法もわかりません。漠然とした不安が頭の中にあるだけで、具体的にどう動けばいいのかわからない状態でした。
そんなとき、偶然立ち寄った書店で1冊の本と出会いました。
「書けば理想は実現できる」
そんなキャッチコピーが、目に飛び込んできました。書くことでいま私が頭の中で考えている悩みや不安、モヤモヤが解消できるかもしれない。すぐにその本を購入し、はじめて自分の頭の中のモヤモヤを書き出しました。最初は半信半疑で書き出していましたが、1冊のノートが自分の感情で埋め尽くされたとき、気が付けばあんなに霞がかかって不安だった心が嘘のようにスッキリしていたのです。まるで、曇っていた空が晴れて、光が差し込んできたようでした。
そして、私が心の底から本当に歩みたい人生は、自分の好奇心と探求心に真摯に向き合う生き方だと気づいたのです。「もっと冒険をして、新しい環境や人と関わる機会を増やし、まだ知らない広い世の中を見てみたい。企業に所属し、恩師や仲の良い仲間と過ごす日々は心地の良いものだったけれど、狭い世界だけで生きていたくない。私の人生は、誰も代わることはできない。私だけが変えていける特別なものなのだ」と、本当の意味でやっと気づきました。
こうして、私は愛車の後部座席を少し改造した簡易キャンピングカーにひとり乗り込み、旅に出ることにしました。山梨県を拠点に、中部地方から近畿地方、沖縄県へ。インドネシアにも行き、半年ほど旅を続けました。
さまざまな場所で、多くの出会いがありました。中でも印象に残っているのは子どもたちとの触れ合いです。あるとき、下宿先の近所の子どもたちに遊びに誘われたのですが、庭の手入れを手伝っていたので「あと1時間待ってて」と伝えました。すると、こう返されたのです。「どうせたいしてお給料ももらってないんでしょ。その1時間、私たちが500円ずつ出すから遊びに行こうよ」と。子どもたちにとっては、私と遊ぶ時間はそれほどの価値があったのだと驚かされました。自分でも気づいていなかった自分自身の価値を知ることができたのと同時に、子どもたちから受け入れてもらっていたことがとても嬉しく、心が温まりました。
旅から戻ったいまの私は、以前の私と比べ、他人に振り回されることが少なくなりました。何ごとも自分で考え、自分で決める。相手が誰であろうと思ったことは素直に伝える。「なんでできないのだろう?」ではなく、「どうしたらできるようになるか?」と考えるように。何より、「私は私のままで生きていて良いのだ。自分の人生は自分で切り拓く!」と思えるようになり、人生が楽しくなりました。
2025年からは自身の体験にもとづいた記事を執筆するライターの仕事と、小学校での放課後子供教室の仕事を始めました。言語学習に加えて複数の趣味を持ち、充実した毎日を送っています。まだまだ知りたいこと、挑戦してみたいことがたくさんあります。自分の好奇心あふれる人生のために、これからも精進していきます。
「周囲に合わせなくても良い、私が私の頭で考えた理想の人生観をもとに、より豊かな人生を送れるような努力をしていこう」
そう考えて、ひとまず会社という1つの輪から離れ、旅に出ることにしたのです。
大学を卒業後、関心のあった福祉関係の会社に入社しました。発達障害のある子どもから大人までの療育支援を担当。直接的に人の支えになることが実感できる、とても社会的意義のある仕事でした。同期や先輩・後輩、上司にも恵まれ、有意義な会社員生活を送っていたつもりでした。
ですが、2年ほどが経過したとき、その会社で働き続けた先にある自分の立ち位置や役職がハッキリと想像できてしまったのです。
「このまま頑張れば、現在の〇〇さんの立ち位置に就き、責任と給料が比例して伸びる」
「いわゆる『安定した生活』が送れるのではないか?」
当時の私にとって、その道は少し窮屈に感じました。だからといって明確な将来像もなければ、対処法もわかりません。漠然とした不安が頭の中にあるだけで、具体的にどう動けばいいのかわからない状態でした。
そんなとき、偶然立ち寄った書店で1冊の本と出会いました。
「書けば理想は実現できる」
そんなキャッチコピーが、目に飛び込んできました。書くことでいま私が頭の中で考えている悩みや不安、モヤモヤが解消できるかもしれない。すぐにその本を購入し、はじめて自分の頭の中のモヤモヤを書き出しました。最初は半信半疑で書き出していましたが、1冊のノートが自分の感情で埋め尽くされたとき、気が付けばあんなに霞がかかって不安だった心が嘘のようにスッキリしていたのです。まるで、曇っていた空が晴れて、光が差し込んできたようでした。
そして、私が心の底から本当に歩みたい人生は、自分の好奇心と探求心に真摯に向き合う生き方だと気づいたのです。「もっと冒険をして、新しい環境や人と関わる機会を増やし、まだ知らない広い世の中を見てみたい。企業に所属し、恩師や仲の良い仲間と過ごす日々は心地の良いものだったけれど、狭い世界だけで生きていたくない。私の人生は、誰も代わることはできない。私だけが変えていける特別なものなのだ」と、本当の意味でやっと気づきました。
こうして、私は愛車の後部座席を少し改造した簡易キャンピングカーにひとり乗り込み、旅に出ることにしました。山梨県を拠点に、中部地方から近畿地方、沖縄県へ。インドネシアにも行き、半年ほど旅を続けました。
さまざまな場所で、多くの出会いがありました。中でも印象に残っているのは子どもたちとの触れ合いです。あるとき、下宿先の近所の子どもたちに遊びに誘われたのですが、庭の手入れを手伝っていたので「あと1時間待ってて」と伝えました。すると、こう返されたのです。「どうせたいしてお給料ももらってないんでしょ。その1時間、私たちが500円ずつ出すから遊びに行こうよ」と。子どもたちにとっては、私と遊ぶ時間はそれほどの価値があったのだと驚かされました。自分でも気づいていなかった自分自身の価値を知ることができたのと同時に、子どもたちから受け入れてもらっていたことがとても嬉しく、心が温まりました。
旅から戻ったいまの私は、以前の私と比べ、他人に振り回されることが少なくなりました。何ごとも自分で考え、自分で決める。相手が誰であろうと思ったことは素直に伝える。「なんでできないのだろう?」ではなく、「どうしたらできるようになるか?」と考えるように。何より、「私は私のままで生きていて良いのだ。自分の人生は自分で切り拓く!」と思えるようになり、人生が楽しくなりました。
2025年からは自身の体験にもとづいた記事を執筆するライターの仕事と、小学校での放課後子供教室の仕事を始めました。言語学習に加えて複数の趣味を持ち、充実した毎日を送っています。まだまだ知りたいこと、挑戦してみたいことがたくさんあります。自分の好奇心あふれる人生のために、これからも精進していきます。