父親が食事を作り、親戚の集まりでは皆の世話を焼く。対する母親は酒を飲み、休日にパチンコに出かける。私は、そんな世間の父親像・母親像とは真逆の家庭で育ちました。規範的なものを押し付けない両親で、料理や家事だって「やりたい人がやればいい」と考える自由な気風。私自身、そんな両親のことを「親」という枠組みを超えて「人」として見ていたし、お父さん・お母さんではなく、名前で呼び捨てていました。
私自身、小説や映画などの創作物に登場する女性像の中に自分を見出すことができず、「女性らしさ」「フェミニズム」ということに興味を抱くようになりました。
物語を感じさせるような奥行きのある写真表現世界が好きだった私は、アートディレクターになるべく美術大学へ進学。その後、デザイン会社に就職しました。ドラマや映画、音楽といったエンタメ周りのキービジュアルを制作する仕事を続ける中で感じていたのは、「女性はこうでなければいけない」という型に縛られた定義や世界観。そんな違和感の中、プライベートでは女性支援の団体に関心を持ち、学術書を読んで勉強するなど、女性にまつわる社会課題に向き合う生活を送っていました。
2019年、28歳で独立するにあたって、「デザイナーとして生きていくのなら、普段から感じているジェンダー課題にデザインで貢献していきたい」と決意。それまで、「仕事の内容と普段の関心事は切り分ける」、「フェミニズムや政治の話を公にする勇気がない」と感じてきましたが、実際にジェンダー問題について自分の意見を公に発信していくようになると、自主制作ではなく、マスのフィールドで携わっていく意味を感じるようになりました。個人のマイノリティ当事者たちが、企業の仕事をする。そうすることで、届けられる範囲が広がったり社会通念を少しずつでも変えていけたりするのではないか。実際、積極的にその分野に関わっていくようになると、いい出会いしかありません。
「ジェンダーイシューに関心があるデザイナーに担当してほしい」と仕事を依頼していただくこともあり、心身ともに健康になれた。ライフワークと仕事の垣根を取り払ったことで、どちらにも良い循環を生むことができたと思っています。
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