「冬ソナ」ブームの少し後から韓国ドラマを見始め、パク・ヨンハさんを好きになりました。きっかけは、覚えていません。気が付いたら恋に落ちていた、そんな感じです。
俳優だけでなく、日本での歌手活動も精力的に行い、いつかコンサートに行きたいなと思っていた2010年6月30日。
朝起きて、いつものように子どものお弁当を作ろうと思ってテレビをつけた瞬間、ヨンハさんが他界したニュースが飛び込んできました。にわかには信じられず、それからしばらく記憶がないくらいショックでした。
少し経って落ち着いてきた頃、私は考えました。
「ヨンハの墓前で、韓国語で挨拶がしたい」。
当時、子どもや家庭のストレスで落ち込んでいた私を支えてくれたのがヨンハさんだったのです。多くのものをもらったことに対して「ありがとう」と伝えたいと思いました。
しかし、大学は文学部だったので日本語には親しんでいたものの、義務教育以外で外国語を学んだ経験はありません。
まずは近くの韓国語教室に通い、ハングルを覚えることから始めました。
韓国語を習得するにあたり、2つの大きな転機がありました。1つは、学び始めて3年目に、韓国語教室の先生に勧められ、地元埼玉県で開催される韓国語の弁論大会に出場したこと。自分の能力以上のものを求められ、お風呂で毎日泣きながら練習したことを覚えています。
結果、3位に入賞。私にとって大きな自信になったとともに、韓国語の能力が飛躍するきっかけになりました。
2つ目の転機は2015年、韓国語力をさらに引き上げたいと考えてスクールを変えたことです。見学に行ったとき、講師からは最上級クラスを勧められました。
授業の内容を見せてもらうと、政治・経済・文化・歴史とかなり高度でした。
「私にはまだ無理です」と断ったものの、「予習すれば大丈夫ですよ」と押し切られ、最上級クラスに入ることになったのです。
しかし、その予習が本当に大変でした。やってもやってもすぐに次の授業の日がきます。授業の内容も、半分くらいしか理解できません。でも、必死に頑張っていると、自然とわかるようになっていきました。
最上級クラスに入って1年後、字幕制作会社が開催する全12回の映像翻訳講座を受講。ようやく「仕事にできるかもしれない」という自信がつき、韓流コンテンツ配給会社の求人に応募しました。
当時51歳で社会人経験のない自分がまさか合格するとは思っていませんでしたが、採用していただき、字幕監修者として働けることになりました。
そして2019年、韓国語を習い始めた当時の目標だったヨンハさんの墓参りに行くため、はじめて韓国を訪れました。子育てもあり、韓国に行くまでヨンハさんが世を去ってから9年かかりましたが、字幕監修者として自分で働いたお金で墓参りに来られたことを嬉しく思いました。
――ヨンハ、私頑張ったよ!
入社した会社の字幕部門の一部が独立した関係で、いまはフリーランスとして働いています。韓国ドラマの日本語字幕を見る人は、日本語話者です。いかに違和感のない日本語を当てはめるか。字幕監修の仕事は、韓国語とともに日本語力も問われます。
語学習得に終わりはありません。これからも勉強を続け、韓国語と同時に日本語力も磨いていきます。
(構成/尾越まり恵)
花岡理恵 X