2002年、勤めていた建築設計事務所の閉鎖をきっかけに、大手飲食チェーンに入社し、店舗デザインを手掛けることを決めました。
小学2年生のとき、遊びに行った友達の父親がたまたま設計事務所を経営しており、はじめて設計士の仕事を知りました。当時、弟と部屋を共有するのが嫌で、自分だけの部屋がほしくてたまらなかった僕は、「家の図面を描くということは、自分の部屋を作れるということ。なんていい仕事なんだ!」と思ったことがきっかけで、将来は建築設計の仕事に携わりたい、と考えるようになりました。
どうしたら最短で設計士になれるのか。資格取得とともに大事なのは実務経験です。それなら大学に行かずに少しでも早く現場で働いた方がいいと考え、工業高校の建築学科を卒業後、すぐに就職する道を選びました。ただ、未経験で設計事務所に入るのは難しいので、まずはゼネコンに就職し、現場監督として働きました。
ところが、3年ほど働いた21歳のとき、そのゼネコンがまさかの倒産。僕は無職になりました。
でも、「これは設計士になれるチャンス」だと前向きにとらえ、まずは建築士の資格を取得。ちょうど図面製作が紙からデジタルに移行する時代で、CADソフトで図面を描くスキルも習得しました。
そして、ついに建築設計事務所に就職。すぐに担当を持たせてもらい、建築士として一生懸命働きました。ところが、今度はその事務所の所長が病気で設計事務所を閉鎖することになり、24歳で再び無職になってしまいました。
しかし、ありがたいことに、そのタイミングで、取引のあった大手飲食チェーンからヘッドハンティングの提案をいただきました。ちょうど多店舗展開を加速している時期で、社内に建築士を迎えたいとのこと。同じ24歳の社員の3倍の給料という破格の条件で、スーツを着てオフィスに行く、人生初のいわゆるホワイトカラーの仕事です。ただ、僕の夢は、建築士として家やビル、美術館、ホテルなどさまざまな建物を設計することだったので、一度入社してしまうと、その会社の店舗の設計しかできなくなります。そのことに、不安と悲しみを感じました。
――この提案を受けるべきか、他の転職先を探すべきか。
3日間真剣に悩んだ結果、僕は決めました。
――とりあえず、やってみよう。
好条件で求めてもらえるのは、とてもありがたいことです。1年でもいい、やってみなければわからない、と思ったのです。
入社後は勢いに乗って、全国に店舗を破竹の勢いで増やしていきました。しかし、BSE(牛海綿状脳症)問題がきっかけでM&Aをされることになり、某総合商社の傘下に入ることになりました。そこで僕は管理職になって経営に近い場所で商社のビジネスの仕方を学びました。
その後、27歳のとき今度は株主が別の会社に変わり、大阪支社の責任者を任されることに。新しい会社では当時すでにさまざまな飲食チェーンをM&Aしていたので、既存の店舗だけでなく、多岐に渡る飲食店の設計もできるようになりました。
そして、30歳で独立し、OLLDESIGNを設立。OLLDESIGNは、これまで積み上げてきた経験を強みとして、飲食チェーンの設計を手掛ける会社です。カッコいいお店ではなく、売れるお店の設計を専門にすると決めたのです。
いまでは、本社以外に東京、中国・上海に拠点を構え、アジア、アメリカ、ヨーロッパなど世界各地で店舗設計を手掛けています。年間100店舗ほどを設計し、これまでに手掛けた飲食店は1500店舗にのぼります。
チェーン店なんてみんな同じでは? と思われるかもしれませんが、大元となる1店目を設計するのが僕の仕事なので、1店目が成功すれば、2店舗、3店舗と多店舗展開していけます。自分が設計した店舗の売り上げが上がった、行列がたくさんできた、という声を聞くことが一番の喜びです。
ご縁に恵まれて飲食チェーンに入社し上場会社の会社員として働き、組織を理解できたことが、確実にいまの自分の強みになっており、この経験があったからこそお客様に寄り添った提案ができる建築士になれたと思っています。
(構成/尾越まり恵)
小学2年生のとき、遊びに行った友達の父親がたまたま設計事務所を経営しており、はじめて設計士の仕事を知りました。当時、弟と部屋を共有するのが嫌で、自分だけの部屋がほしくてたまらなかった僕は、「家の図面を描くということは、自分の部屋を作れるということ。なんていい仕事なんだ!」と思ったことがきっかけで、将来は建築設計の仕事に携わりたい、と考えるようになりました。
どうしたら最短で設計士になれるのか。資格取得とともに大事なのは実務経験です。それなら大学に行かずに少しでも早く現場で働いた方がいいと考え、工業高校の建築学科を卒業後、すぐに就職する道を選びました。ただ、未経験で設計事務所に入るのは難しいので、まずはゼネコンに就職し、現場監督として働きました。
ところが、3年ほど働いた21歳のとき、そのゼネコンがまさかの倒産。僕は無職になりました。
でも、「これは設計士になれるチャンス」だと前向きにとらえ、まずは建築士の資格を取得。ちょうど図面製作が紙からデジタルに移行する時代で、CADソフトで図面を描くスキルも習得しました。
そして、ついに建築設計事務所に就職。すぐに担当を持たせてもらい、建築士として一生懸命働きました。ところが、今度はその事務所の所長が病気で設計事務所を閉鎖することになり、24歳で再び無職になってしまいました。
しかし、ありがたいことに、そのタイミングで、取引のあった大手飲食チェーンからヘッドハンティングの提案をいただきました。ちょうど多店舗展開を加速している時期で、社内に建築士を迎えたいとのこと。同じ24歳の社員の3倍の給料という破格の条件で、スーツを着てオフィスに行く、人生初のいわゆるホワイトカラーの仕事です。ただ、僕の夢は、建築士として家やビル、美術館、ホテルなどさまざまな建物を設計することだったので、一度入社してしまうと、その会社の店舗の設計しかできなくなります。そのことに、不安と悲しみを感じました。
――この提案を受けるべきか、他の転職先を探すべきか。
3日間真剣に悩んだ結果、僕は決めました。
――とりあえず、やってみよう。
好条件で求めてもらえるのは、とてもありがたいことです。1年でもいい、やってみなければわからない、と思ったのです。
入社後は勢いに乗って、全国に店舗を破竹の勢いで増やしていきました。しかし、BSE(牛海綿状脳症)問題がきっかけでM&Aをされることになり、某総合商社の傘下に入ることになりました。そこで僕は管理職になって経営に近い場所で商社のビジネスの仕方を学びました。
その後、27歳のとき今度は株主が別の会社に変わり、大阪支社の責任者を任されることに。新しい会社では当時すでにさまざまな飲食チェーンをM&Aしていたので、既存の店舗だけでなく、多岐に渡る飲食店の設計もできるようになりました。
そして、30歳で独立し、OLLDESIGNを設立。OLLDESIGNは、これまで積み上げてきた経験を強みとして、飲食チェーンの設計を手掛ける会社です。カッコいいお店ではなく、売れるお店の設計を専門にすると決めたのです。
いまでは、本社以外に東京、中国・上海に拠点を構え、アジア、アメリカ、ヨーロッパなど世界各地で店舗設計を手掛けています。年間100店舗ほどを設計し、これまでに手掛けた飲食店は1500店舗にのぼります。
チェーン店なんてみんな同じでは? と思われるかもしれませんが、大元となる1店目を設計するのが僕の仕事なので、1店目が成功すれば、2店舗、3店舗と多店舗展開していけます。自分が設計した店舗の売り上げが上がった、行列がたくさんできた、という声を聞くことが一番の喜びです。
ご縁に恵まれて飲食チェーンに入社し上場会社の会社員として働き、組織を理解できたことが、確実にいまの自分の強みになっており、この経験があったからこそお客様に寄り添った提案ができる建築士になれたと思っています。
(構成/尾越まり恵)
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