木村彰宏

コロナ禍にタクシー運転手として働いていた際にたまたま乗客として出会った成田屋の社長に誘われ、41歳のときにいまの会社に転職。ゼロから学んでまったく異業種である施工管理のプロになりました。

子どもの頃から映像に興味があった私は、芸術系大学の映像学科へ進学。映画を撮る勉強をしていましたが、学内にある舞台芸術学科の役者さんを撮影に起用しているうちに、自分も演者側に回りたいと考えるようになりました。

卒業後、ダンスのレッスンに通い始め、以前テレビ番組で見て憧れた劇団四季の研究生試験に挑戦し、無事合格。1年間研究生として勉強しながら舞台にも出演していましたが、体が硬く、ケガが頻発。椎間板ヘルニアを患って、それを理由に解雇されてしまいました。そこでまずは治療に専念し、完治したのち次にチャレンジしたのが大手テーマパークのダンサー試験でした。劇団四季時代のキャリアも買われて無事に合格し、そこからは大手テーマパークのパレードや数々のショーに出演し、14年間ダンサーとして働きました。

楽しくやりがいもありましたがリハーサルは深夜や早朝、夏場は分厚い衣装が暑く、職場環境は過酷。40歳が目前に迫ると肉離れなどのケガも続き、引退を意識するようになりました。

もともと車の運転が好きだったこともあり、タクシー運転手になろうと決めて普通自動車の二種免許を取得。さらに道路・交差点・主要な建物の場所を問われる地理試験をパスしてタクシー運転手になりました。ところが時は2020年4月。タクシー運転手デビュー1カ月で新型コロナ感染拡大による1度目の緊急事態宣言に突入してしまいます。タクシー運転手自体は1日の総売り上げを会社と折半という形での給与形態だったため、街に人がいなかった当時の東京での勤務は非常に厳しい状況。夜の乗客は拾えて1人という環境が続き、ベテラン運転手も次々と異業種転向をしていきました。

お先真っ暗な状態の中、少しでもお客さんのいそうな場所に移動して乗客を捕まえる日々。そんな生活が半年ほど続くと一時的にコロナ禍の規制が緩和され、少しずつ街に人が繰り出すようになりました。その頃、とある場所から乗車してきたのがいま勤務している会社の成田社長でした。自宅までの送迎の間、成田社長は気さくに話しかけてくださり、「タクシー運転手の前は何をやっていたの?」と私の経歴に興味津々。いろいろとお話をするうちに「もったいないよ! うちにおいでよ!」と会社にお誘いいただいたのでした。

さすがに社交辞令だろうと思っていましたが、降り際に「LINEを教えて」と言われて驚き、さらにその後、間を置かずに連絡をくれたのでさらに驚きました。

「新手の詐欺か」とも思ったほどでしたが(笑)、本社で再会してみるとやはり成田社長は話しやすく気さくな方で、「YouTubeでダンスしている映像は見られるの?」と私の話にもすごく興味を持ってくださり、自身の会社の創業の経緯についても少年のように目を輝かせながら語ってくださる人です。私はそんな社長の人柄に惹かれて入社を決意。41歳のときのことでした。

今年で入社3年目。パソコンの使い方や修繕に使う資材の名前を覚えるところから始めて、いまでは何とか外壁補修工事などの現場管理の仕事をこなせるようになりました。クレーム処理など大変なこともありますが、会社のメンバーは本当にみんな人柄がよく、人間関係で悩むことがまったくありません。仕事も意外と面白く収入も安定し、本当にあのとき転職してよかったなと思っています。いまはまだ先輩のサポートを受けながら何とか一通り仕事ができるようになったという段階なので、本当の意味で独り立ちできるようにもっと技術と知識を身に着けてこれからも頑張っていきたいと思います。

(構成/岸のぞみ)

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