別所さんショート

競輪選手になって20年目、レースで1着になったら幼稚園や保育園、児童養護施設などの子どもたちに絵本をプレゼントしようと決めました。

小学6年生のとき、競輪ファンだった父にロードバイクを買い与えられ、たくさん練習させられました。小学校ではソフトボール、中学では野球に熱中していましたが、高校に進学してからは、「競輪選手になってほしい」という父の希望通り、学校の部活には入らず、競輪学校の合格を目指して本格的にトレーニングを始めました。競輪選手になるためには、日本競輪学校(現:日本競輪選手養成所)を卒業する必要があります。私が受験した当時、受験資格があるのは18歳から22歳まで(現在は年齢制限なし)。1000人受けて合格者は75人という狭き門でしたが、運よく現役で合格することができました。

1年間、競輪学校のある静岡県で寮生活を送り、卒業後は地元の北九州市で選手登録して1999年に競輪選手になりました。デビュー戦はひどく緊張したため準決勝で敗退。悔しくて泣きながら帰ったのを覚えています。そこからずっと、勝負の世界で走り続けています。競輪にはオフシーズンがないので、心が折れる暇はありません。

そんな僕が冒頭の決断に至ったのは2018年、競輪選手の友人にもらった1冊の本がきっかけでした。その本では、他人と競い合って成果を出すよりは、自分の競技をつくってしまうほうがいい。環境を変えることが自分を変えることにつながるといったことが書かれていました。その内容に共感し、「自分も何か行動したい!」と考えるようになったんです。
自分は何がしたいのだろうと考えたときに、思い浮かんだのが子どもの教育に関することでした。そこで「レースで1着になったら、子どもたちに絵本を贈ろう」と決めました。

最初は友人のつてで幼稚園などを訪問していましたが、SNSで発信することで北九州市内の児童養護施設などとつながり、訪問先が増えていきました。
最初はスーツを着て訪問していたのですが、「競輪選手の格好で来てほしい!」と言われたので、いまは競輪のユニフォームを着て自転車に乗って子どもたちのところに行っています。
本を持っていくと子どもたちはすごく喜んでくれますし、「読んでほしい!」と言われたら、そこで読み聞かせもしています。

継続していくうちに、私の気持ちにも変化がありました。始めた当初は、どこかで自分が子どもたちに与える立場だと思っていたのだと思います。しかし、あるとき幼稚園の子どもたちに「どうして1着になったら絵本を持ってこようと思ったんですか?」と聞かれたんです。自分の中で明確に言語化できていなかったのですが、そのときに自然と言葉として出たのが、「みんなは何かで1番になったとき、自分1人で喜ぶのとみんなで喜ぶの、どっちがいい?」という問いかけでした。それに対して、子どもたちは「みんなで喜ぶのー!」と答え、僕は「だから持って来てるんだよ」と言いました。

「そうだったのか!」と自分で自分の言葉にハっとしました。こうして自分は与えているのではなく、与えてもらっているのだと子どもたちに教えられたのです。そのときに、「本を届ける活動をずっと続けたい!」と改めて思いました。今年46歳になりますが、走り続ける活力を子どもたちにもらっています。

決断してからこれまでに30回超レースで1着になっており、1度に5~6冊で計200冊ほどの絵本を子どもたちに届けることができました。競輪選手を引退するまで、この活動を続けます。そして引退後も子どもたちの教育に関わる事業に携わりたいと考えており、いま少しずつ準備しているところです。

(構成/尾越まり恵)

別所英幸 Instagram

おすすめの記事