コロナ禍の2021年6月、東京・田町に「田町biotable(ビオターブル)」をオープンしました。
営業や広告制作の仕事を経て、2017年に株式会社ADLIVEを設立。ブライダル業界を中心に、企業のブランディングを手掛けてきました。仕事は順調で、2020年3月には、「今年は絶対いける!」と過去最高益を確信していました。
ところが、翌4月に緊急事態宣言が出されたと同時に、広告・ブランディングの受注がピタっと止まりました。
何もできないまま、時間だけが過ぎていきます。先が見えない不安と、このまま立ち止まり続けることへの恐怖。ここで改めて「私たちは何がしたいのか」をスタッフと一緒にとことん話し合いました。
これまではBtoBの仕事がメインでしたが、これからは個人にサービスを届けていきたい。自分たちが思い描くパーティーができるような、「場」をつくりたい。それが私たちの結論でした。そこで、レストランの開業を決意したのです。
田町biotableで目指したのは、多様な食の価値観を持つ人が、一緒に食事を楽しめる場所。ビーガンの人も、小麦を食べない人も、揚げ物をモリモリ食べたい人も、一緒に食事ができるメニューを揃えました。
そんな新しい食の価値を世の中に広めたい。これをきっかけに、レストランのコンサルティングも手掛けていきたい……開業当時は、そんなキラキラした未来しか見ていませんでした。
しかし、50席のお店をコロナ禍に維持するのは簡単ではありません。始めることよりも、続けることのほうが、圧倒的に大変だと痛感しています。金融機関からコロナ融資を受けたものの、初期費用と維持費とで、この1年間で通帳残高から数千万円が消えていきました。
1年前の自分に声をかけるなら、こう言います。
「飲食店なんて、絶対やらないほうがいいよ」
でも一方で、やっぱりやって良かったとも思うんです。これまでの私たちはゼロイチを作ったことがないまま、お客様の資金の中でブランディングや広告制作をしていました。
今は、ゼロイチを生み出す大変さや、1円の価値がすごくよく分かる。だから、お客様と対峙するときに、より深い話ができている実感があります。一蓮托生で長くお付き合いできるお客様が増えてきました。レストランも、少しずつ団体予約が戻ってきています。
私が後ろを向くわけにはいきません。まっすぐ、未来だけを見つめて進んでいきます。
営業や広告制作の仕事を経て、2017年に株式会社ADLIVEを設立。ブライダル業界を中心に、企業のブランディングを手掛けてきました。仕事は順調で、2020年3月には、「今年は絶対いける!」と過去最高益を確信していました。
ところが、翌4月に緊急事態宣言が出されたと同時に、広告・ブランディングの受注がピタっと止まりました。
何もできないまま、時間だけが過ぎていきます。先が見えない不安と、このまま立ち止まり続けることへの恐怖。ここで改めて「私たちは何がしたいのか」をスタッフと一緒にとことん話し合いました。
これまではBtoBの仕事がメインでしたが、これからは個人にサービスを届けていきたい。自分たちが思い描くパーティーができるような、「場」をつくりたい。それが私たちの結論でした。そこで、レストランの開業を決意したのです。
田町biotableで目指したのは、多様な食の価値観を持つ人が、一緒に食事を楽しめる場所。ビーガンの人も、小麦を食べない人も、揚げ物をモリモリ食べたい人も、一緒に食事ができるメニューを揃えました。
そんな新しい食の価値を世の中に広めたい。これをきっかけに、レストランのコンサルティングも手掛けていきたい……開業当時は、そんなキラキラした未来しか見ていませんでした。
しかし、50席のお店をコロナ禍に維持するのは簡単ではありません。始めることよりも、続けることのほうが、圧倒的に大変だと痛感しています。金融機関からコロナ融資を受けたものの、初期費用と維持費とで、この1年間で通帳残高から数千万円が消えていきました。
1年前の自分に声をかけるなら、こう言います。
「飲食店なんて、絶対やらないほうがいいよ」
でも一方で、やっぱりやって良かったとも思うんです。これまでの私たちはゼロイチを作ったことがないまま、お客様の資金の中でブランディングや広告制作をしていました。
今は、ゼロイチを生み出す大変さや、1円の価値がすごくよく分かる。だから、お客様と対峙するときに、より深い話ができている実感があります。一蓮托生で長くお付き合いできるお客様が増えてきました。レストランも、少しずつ団体予約が戻ってきています。
私が後ろを向くわけにはいきません。まっすぐ、未来だけを見つめて進んでいきます。
田町biotable. 食べログ
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