35歳のとき、欧州オーケストラを退団し、秘書業へのリスキリングを決断しました。
3歳からピアノを習い始め、中学校では吹奏楽部へ。アルトサックスを演奏したかったのですが、人がいないからとファゴットを担当することに。ファゴットはメロディーラインを吹くわけではないため、みんなが吹きやすくするための音はどういうものか、表面的な華やかさだけでなく、本質と向き合える感覚があり、ファゴットなら自在に自分の音を表現することができました。15歳でプロになると決めて、大学は京都市立芸術大学音楽学部へ。卒業後、ドイツのブレーメン大学へ入学。帰国後、兵庫県立芸術文化センターのハコ付きオーケストラの楽団員、ポーランドでのオーケストラの楽団員を歴任。ポーランド人はショパンに代表されるように、女性的でアンニュイな表現が上手な音楽性を持っています。特にショパンコンクールの優勝者と奏でたショパンのコンチェルトなどは大変趣深く、貴重な経験となりました。
一方で、ポーランドのオーケストラの8割は税金で賄われており、周囲の卓越した音楽技術を目の当たりにする中で、自分はそれに見合う価値を提供できているのだろうか、と思い悩むように。いつしか、「社会に支えられる存在」ではなく、「社会を支える存在」になりたいという新たな使命感が芽生えていきました。そんな2015年、フランス在住で鶏のヒナの鑑定をする「ひよこ鑑定士」の仕事を手掛ける日本人男性と結婚したことを機に、「このままポーランドにいたら音楽家としての生活はできるけど、自分が望む人生は追い求められなくなる」と感じてフランス移住を決断。子育てに励みました。
上の子どもが2歳になったとき、子どもが学校に行っている間に働き、帰ってきたときに家にいられる仕事が何かできないか、と考えるように。自宅にいて家族の急用にも対応できるオンラインの仕事を探し始めました。そこで考えたのが、「オンライン秘書」業務。日程調整、タスク管理、画像の加工など、業務内容は多岐にわたります。企業のホームページを回遊していると、その企業に「足りないところ」「手が行き届かず困っているところ」が自然と見えてくることに気づいた私は、ピンポイントで企業を選定し、企画書を作成。営業活動を開始しました。
オーケストラ生活は基本的にはオーディションでポジションを獲得していきます。一発勝負の演奏だけで入団を判断されるオーディションに比べて、日本語で提案できるオンライン秘書事業の営業は意図も伝わりやすく、手ごたえを感じました。「愛のロックオン作戦」と名付けたこの戦略が意外にもうまくいき、しばらくするとオンライン秘書育成コミュニティでの講師も務めるようになりました。
2023年、業務委託先の1つだった理学ボディに入社し、代表取締役秘書 秘書室長に就任。理学ボディは整体やピラティス事業を手掛ける会社で、コールセンターの立ち上げに携わったことがきっかけでいまに至っています。多くの経営者と接する中で、音楽家時代に培った「集中力」や「他人の意図を汲み取る力」がビジネスにも生きると実感していますし、これまで経験してきたことが「すべて新しい挑戦のための糧だった」と思えるようにもなりました。
現在では、経営者に伴走するオンライン秘書チームの設計・ディレクションを手がけるだけでなく、セミナー講師としても活動。これまでの経験をもとに、「新しいスキルの身につけ方」や「柔軟な働き方」をテーマに講演をしています。「こんなに思い切った破天荒な転身をする人もいるんだから、自分にもできる」と思ってもらえるような存在になっていけたらいいなと思っています。
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