三上力央

起業15年目の2017年、主幹事業だった結婚式事業を譲渡することを決断。結果、赤字が続いていた葬儀事業だけが残りました。

電気工として事業を営んでいた父のもとで、サッカー少年として育ちました。高校時代にはサッカー部のメンバーを引き連れて日雇いバイトとして父の仕事を手伝ったことも。その後、国学院大学を卒業して渡米。オレゴン大学のビジネス学部アントレプレナーシップ学科に進学しました。そこでは日々起業家が登壇してさまざまな苦労話を講演するのを聞きました。同級生も起業家志望の人ばかり。「リッキーは何しに来たの?」「起業しないの?」と聞かれるうちにその気になって起業のネタ帳を付け始め、「日本で3年働いて29歳で起業しよう!」「人生の一大イベントである冠婚葬祭を事業の中心にしよう」と決めました。

帰国後、PwCコンサルティングに入社してからは土日に高校・大学・留学時代の友人やPwCの同僚と集まって、「どうすれば冠婚葬祭にイノベーションを起こせるのか?」を真剣に話し合いました。お葬式に関してアンケートを300人ほどに実施したところ、「菊の花が嫌い」「自分らしいお葬式がしたい」といった課題が見えてきました。

婚礼と違ってイメージの湧かなかった葬儀について勉強すべく、葬儀屋と花屋で1年間アルバイトをした後、2002年に葬儀事業を手掛ける会社を友人たちと起業。菊の花以外を使う「花葬儀」という手法が世間の目には真新しく映り、メディアに取り上げられたことで成長していきました。ところが東京・大田区にあるJR大森駅に新たな葬儀場建設を進めている最中に大規模な反対運動にあって断念。葬儀場建設は果たせず、社員も全員退職。借入4000万円だけが残りました。

2012年、福岡県北九州市で婚礼事業を手掛ける会社を買収し、結婚式事業に注力し始めて軌道に乗ってくると、社員による数百万円の横領が発覚して担当者が退職することに。その人物は能力が高かったために大打撃となりました。さらに折り悪くメディアで取りざたされていた「警察官が不倫相手と結婚しようとした式場」が当社の式場だったことから風評被害も拡大して売り上げが激減。債務超過は1.8億円となり、資金を借り入れていた経営者からは「事業を売って借金を返済してほしい」と迫られる始末。心身ともに限界で、提示された額は借金相殺でしたが私には呑むよりほかに方法はありませんでした。それは苦渋の決断でした。

売り上げは10億円から2億円へ、社員は60名から16名となり、地獄の資金繰りがスタート。数字を追いかけてばかりでギスギスし、会社の理念も形骸化。この時の私は、人を人だとも思わず「カネカネカネカネ」とつぶやいてばかりいました。

そんなある日、私のことをよく知る先輩社長と会う機会があり、一連の話をしたところ、「あとがないんじゃないか。学んで実践するしかないぞ?」と言われました。彼に紹介された研修を受けながら内省してみると「私は何がしたくて起業したのか」「住民の葬儀場反対運動や会社の不正など、すべて他人のせいにして自身を振り返る時間も持たず、自分の正しさを押し付けていただけではないか、と気が付きました。目の前のことに必死すぎて「みんなに喜んでもらいたい」と思って始めた企業当時の初心を忘れていたことに気が付いたのです。「今と真逆のことをやろう」と決めたら、ビジネス上の課題とアイデアも見えてきました。

花の事業を立ち上げて外注していた祭壇まわりの仕事も自社で受けるようにし、葬儀事業だけでなく相続関連サービスも開始。どんな会社にしたいかを冊子にまとめて社員に配り、結果ではなくプロセスを整備・評価するように方針を転換。すると3年で経常利益5%を実現し、黒字転換。14年間続いた赤字から脱することができました。

これからは相続、遺言、遺品整理、生前整理など着実に既存の事業を深めていきたいですし、テクノロジーを用いてシニア領域に貢献していきたい。他にも葬儀に故人自身のライフストーリーを動画で流すサービスや50歳以上のコミュニティ型のマッチングサービスで孤独死のない社会を作っていきたい。リアルの事業とデジタル事業をどちらも強化し、コロナ禍のような危機にも強い会社づくりをしていきたいと思っています。


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