59歳、残りの人生30年を懸けるため、米国の大学教授の地位を捨て、還暦目前で起業しました。
研究者になることは物心ついた頃からの私の夢でした。魚の分類学博士をめざして、東京水産大学に進学しましたが、なぜか洗剤の環境問題の研究要員としてライオン株式会社へ。ところが当時洗剤の環境汚染問題が下火となっていた影響で、仕事はもっぱら洗剤の生体安全性や毒性の検査ばかり。気が付けば29歳になっていました。仕事に必要な基礎知識を身に着けてこなかったという事実に愕然とし、5年も社会人をやってきたのに何も成し得ていない! とふと我に返りました。でもだからといっていまさら日本の大学院で学ぶのも何か違うと感じ、一度社会人経験を経ていたほうが評価されやすいアメリカで学問を続けることを決意。アメリカのジョンズホプキンス大学で生化学の博士課程に進みました。
生化学の研究は化学物質の構造を理解することが大切です。つまり生化学研究には化学物質の構造解析が不可欠であり、化学分析装置の扱いに手慣れている必要がありました。同じ頃、NMR(核磁気共鳴)の技術が飛躍的に進化してきており、高額な機材を導入しても使い方がわからない、という事態に。そこで原理の近いMRIを扱う放射線科で扱い方を学んでいるうちに、興味の対象は次第に機械そのものへと移っていきました。
放射線科ではどのように撮影すればどのような病気が発見できるのか、脳画像の撮影方法についてさまざまな研究がなされていました。どの分野も同様ですが、技術というのははじめの数年で爆発的に進化し、理論が確立します。新技術は企業がマーケティングの目玉にしやすいので最初は取りざたされますが、次第に技術開発も一巡し、重箱の隅をつつくような研究へとすげ変わり、やがてその分野の研究自体が下火となり、研究界の興味は次のトピックスへと移っていくのです。例えば、80~90年代に飛躍的に技術革新が起こったカメラの撮影技術も同様で、モノクロ撮影がカラーになり、表示も紙媒体からLCD(液晶ディスプレイ)に代わって「目を大きく撮影できる」といった新技術が企業戦略に使われるようになりました。このように、10年ほどするとどの企業でも実装できるようになって使い捨てられていくのです。
私はMRIの世界で、先端技術開発の渦中にいて、さまざまな場所に引っ張りだこになる華やかな世界を経験し、パテント(特許)も取得。40~50代は、まるで研究界のロックスターのような扱いを受け、ジョンズホプキンス大学の研究室でたくさんの学生や研究員を抱え、また脳画像科学センター所長や高解像度MRIセンター所長の役職を務めてきました。しかし新技術開発が一段落して少しずつ衰退していく様子を横目に見ながら、研究界があまりにも現実からかけ離れ、必ずしも現実社会(医療現場)の課題解決に繋がっていない、という思いが次第に強くなっていきました。今日はどんな研究をしようとわくわくしていた昔の自分に思いを馳せる一方、現状のままの研究者としての自分の未来を思い描いて、ぞっとしたのです。
――ただのジジイになりたくない。手に職を持って、人に望まれるジジイになりたい!
そこで医療画像解析の最先端技術を活用した「脳疾患の予防・治療に貢献するソリューション」に着目。日本独特の「脳ドック」というシステムを持つ日本で万単位の「健康で良質な脳画像のビッグデータ」と出会い、これを利用すれば現在の脳の状態だけなく、未来の状態も分析できるようになることに気が付きました。「これこそが残りの人生を賭してでもやるべきものだ」という強い思いを抱き、2021年、59歳のときに株式会社エムを立ち上げました。研究室を閉鎖し、所長職も退任。30年過ごした米国から単身日本へと帰国するのは大きな決断であり、生活も一変しました。でも気持ちは晴れやかです。
まずは認知症の早期発見・予防に役立てるために開発した「健診・ドック向け」のプロダクト「MVision health」の普及啓蒙に力を入れ、日本人の「脳の健康マネジメント」に寄与していきたいと思っています。
(構成/岸のぞみ)株式会社エム ホームページ