2015年2月、共同創業者との2トップ体制から脱却し、自分が全責任を負い会社を継続していくことを決断しました。
ビジネスに最初に興味を持ったのは、大学2年生のときです。MBA(経営学修士号)を持つ外国人の友人と仲良くなり、ビジネスの話をするようになったのがきっかけでした。
新卒で米国資本の金融機関に入社し、働きながらもずっと起業を意識していました。2年弱で独立し、同期の仲間とともに2007年1月に営業代行やテレマーケティングを主軸とするエッジコネクションを設立。朗らかで営業向きの友人が社長、組織を整えていくことが得意な私が副社長という体制がいいだろうという合意のもと、会社をスタート。
しかし、社員が20人にまで増えたときに1つの転機を迎えます。いつも外に出て営業活動をしている社長よりも、社内にいて社員の近くで指揮をとっている私が社長になったほうが組織がうまく回るのではないかという意見が出るようになり、2013年に私が社長、友人が副社長という体制に変更しました。
2015年には私の生まれ故郷である宮崎県延岡市の自治体で働く中学時代の同級生から誘致の話を受け、地元に貢献できるならと延岡にオフィスを開設することにしました。ところが、ちょうどそのタイミングで事件が起こったのです。
それは、2月の寒い日でした。いまでも鮮明に覚えています。副社長から会議室に呼び出されて行くと、彼は私にこう言いました。
「俺かお前か、どちらかが辞めるべきだ」
トップが2人いるような状況で、社員たちもどちらの指示に従えばよいか迷ってしまう。そんな状況は良くない、というのが彼の主張でした。
思いがけない彼の言葉に驚き、私は「一晩考えさせてくれ」と返事をして持ち帰りました。
クライアント対応などの実務は彼が主導している。私が会社に残っても、経営は立ち行かないだろう――。
当時10人いた社員も、辞めてしまうかもしれない。子どももまだ小さく、妻は「あなたが辞めて外資系の金融業界に戻ってほしい」と言いました。
家族の反対を押し切ってまで、この会社に残るべきか。
一晩、かなり悩みましたが、延岡のオフィスもオープンし、数日後には地元メディアに向けた記者会見が控えていました。
――ここで諦めるわけにはいかない。
そう考え、最悪、自分1人だけになったとしてもこの会社を続けていこう、と覚悟を決めました。
翌日、「俺が残る」と副社長に伝えると、彼はただ一言「わかった」と言い、会社を去って行きました。副社長と一緒に辞めた社員もいましたが、半数の5人が残ってくれました。管理職社員が全員辞めたので、私と新人社員たちとでの再スタートとなりました。クライアント対応ができるのは私しかいない。とにかく必死に働き、新人たちを戦力化させながら、新たに採用を進めていきました。
いま、私たちの会社は55人の社員とともに、新しい挑戦を続けています。地方拠点での雇用創出やコロナ禍での業績拡大といった成果は、あの覚悟を決めたからこそ実現できたものです。
複数人での起業は、明確な役割分担や意思決定の仕組みを構築することが何よりも大切だと身を持って学びました。元副社長とは最初は多少わだかまりもありましたが、最近では年に1回ほど会って飲みに行っています。
これから起業を目指す方には、迷いや困難の中でも、最終的に自分自身が決断し、責任を持って行動する重要性をお伝えしたいと思います。
(構成/尾越まり恵)
ビジネスに最初に興味を持ったのは、大学2年生のときです。MBA(経営学修士号)を持つ外国人の友人と仲良くなり、ビジネスの話をするようになったのがきっかけでした。
新卒で米国資本の金融機関に入社し、働きながらもずっと起業を意識していました。2年弱で独立し、同期の仲間とともに2007年1月に営業代行やテレマーケティングを主軸とするエッジコネクションを設立。朗らかで営業向きの友人が社長、組織を整えていくことが得意な私が副社長という体制がいいだろうという合意のもと、会社をスタート。
しかし、社員が20人にまで増えたときに1つの転機を迎えます。いつも外に出て営業活動をしている社長よりも、社内にいて社員の近くで指揮をとっている私が社長になったほうが組織がうまく回るのではないかという意見が出るようになり、2013年に私が社長、友人が副社長という体制に変更しました。
2015年には私の生まれ故郷である宮崎県延岡市の自治体で働く中学時代の同級生から誘致の話を受け、地元に貢献できるならと延岡にオフィスを開設することにしました。ところが、ちょうどそのタイミングで事件が起こったのです。
それは、2月の寒い日でした。いまでも鮮明に覚えています。副社長から会議室に呼び出されて行くと、彼は私にこう言いました。
「俺かお前か、どちらかが辞めるべきだ」
トップが2人いるような状況で、社員たちもどちらの指示に従えばよいか迷ってしまう。そんな状況は良くない、というのが彼の主張でした。
思いがけない彼の言葉に驚き、私は「一晩考えさせてくれ」と返事をして持ち帰りました。
クライアント対応などの実務は彼が主導している。私が会社に残っても、経営は立ち行かないだろう――。
当時10人いた社員も、辞めてしまうかもしれない。子どももまだ小さく、妻は「あなたが辞めて外資系の金融業界に戻ってほしい」と言いました。
家族の反対を押し切ってまで、この会社に残るべきか。
一晩、かなり悩みましたが、延岡のオフィスもオープンし、数日後には地元メディアに向けた記者会見が控えていました。
――ここで諦めるわけにはいかない。
そう考え、最悪、自分1人だけになったとしてもこの会社を続けていこう、と覚悟を決めました。
翌日、「俺が残る」と副社長に伝えると、彼はただ一言「わかった」と言い、会社を去って行きました。副社長と一緒に辞めた社員もいましたが、半数の5人が残ってくれました。管理職社員が全員辞めたので、私と新人社員たちとでの再スタートとなりました。クライアント対応ができるのは私しかいない。とにかく必死に働き、新人たちを戦力化させながら、新たに採用を進めていきました。
いま、私たちの会社は55人の社員とともに、新しい挑戦を続けています。地方拠点での雇用創出やコロナ禍での業績拡大といった成果は、あの覚悟を決めたからこそ実現できたものです。
複数人での起業は、明確な役割分担や意思決定の仕組みを構築することが何よりも大切だと身を持って学びました。元副社長とは最初は多少わだかまりもありましたが、最近では年に1回ほど会って飲みに行っています。
これから起業を目指す方には、迷いや困難の中でも、最終的に自分自身が決断し、責任を持って行動する重要性をお伝えしたいと思います。
(構成/尾越まり恵)
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