才津由佳

私の決断は、弟がくも膜下出血で倒れた際、介護資格を取得して弟を支えると決めたことです。

1つ下に双子の弟がいる3人姉弟の長女として育ちました。弟同士は仲が良かったのですが、ゲーム好きでインドアな弟たちと違って私は外で友達と遊ぶのが好きだったので性格的に合わず、幼い頃はあまり口も利かずに過ごしました。高校に入学してからはお弁当屋さんやレストランでアルバイトを始め、高校卒業後は企業に就職して事務職に就くよりも稼げると考えて警備員などのアルバイトを掛け持ちしながら働いていました。

弟たちは高校卒業後、内装業を営む叔父の元で働いており、勤務先が家から近かったので実家に戻って昼食を取ることも多かった2人。私が20歳になる頃から弟の1人は頭が痛いと言って頭痛薬を飲みながら職場に向かうようになっていました。しかし私たちはよくある片頭痛だと思い、特に気にすることもなく過ごしていました。そんなある日、いつものように弟たちが昼食を摂りに自宅に戻っていると、1人の弟がトイレでバタン!と倒れてしまったのです。後から聞いた話によれば、もう1人の弟が気づいてトイレに駆け付けたときには口から泡を吹いて倒れていたといいます。

私がその知らせを受けたのは仕事帰りの夕方の電車の中。電話口の父親からは「弟はあかんかもしれん」と言われ、スマホを持つ手が震え、今朝「行ってらっしゃい」と言えなかったことが脳裏をよぎりました。通常の100倍ほどのサイズの遺伝性の動脈瘤が破裂したとのことで、病院にかけつけたときには手術で陥没した頭と体中につながれた管だらけの姿で、主治医からは「意識は戻らないか、脳死となることも覚悟してほしい」と告げられていました。毎日祈るような思いでお見舞いに行ったことを覚えています。その思いが通じたのか、弟は奇跡的な回復を見せ、3週間で意識を取り戻し、1カ月半ほどでリハビリを始められるまでに回復。地元の新聞にも取り上げられたほどでした。

私は高校時代から弟たちにはいい学校に行ってほしいと両親にお金を渡し、19歳からは正社員となり、土日もアルバイトするなどとにかく働いて稼いでいました。弟が病気になってからは「弟を支えないと!」という気持ちがさらに強くなり、介護業界への転向を考えるように。母がヘルパー資格を取得して弟の介護をしていたので、私は車椅子など適切な福祉用具を選べるよう、福祉用具事業所の専門相談員の元へ修業に行くことを決めました。

福祉用具事業所で5年ほど勉強させていただきながら、ケアマネージャーの資格を取得。その間、弟は家で普通に過ごせるまでに快復し、1~2年の通院を経て作業所での勤務を始め、無事に社会復帰を果たすことができました。一方私は勤務先の作業所での介護予防事業として体操教室がスタートすると、介護予防の運動指導員の資格も取得しました。

運動指導員の仕事が楽しかったので、退職後もフリーランスとして介護施設や公民館で体操教室の仕事を10年ほど続けていきました。美容やファッションも好きだったことから、ネイリストやハンドメイド作家を集めてマルシェなども開催していました。そんな中、親友が乳がんになったことを機に「体が元気でも心が元気でなければ意味がない」との思いを強くし、福祉の世界にも美容を取り入れたいと考えるようになりました。そこで、医療従事者の交流会で出会ったE.Tライフケアの代表に同社が運営する施設で美容プログラムも取り入れてみたいと申し入れ、38歳のときに「美容×福祉」の美的プロジェクトを立ち上げました。

最初は月1回、E.Tライフケアの運営施設でネイルや小物づくり、体操を合わせたレクリエーションを展開していましたが、2020年にコロナ禍に突入し、「三密」となるレクリエーションの需要は激減。そんな中、代表から「今度施設で導入したいと思っている施術について体験して見極めてほしい」と言われたのが「インディバ」でした。インディバはスペイン発祥の高周波温熱器で、冷え性や足のむくみ、便通改善にも役立ちます。「施設内で施術できる人が必要だから」と言われてインディバ施術介護士として勤務。その半年後、2022年からはインディバサロンを出店するというので店長を務めることになりました。

病気後、弟は人が変わったように明るくなり、もう1人の弟もそれに感化されるように明るくなりました。弟が病気になってからは家族仲がよくなり、弟たちとも近所に買い物に出かけるように。介護もエステティシャンもとてもやりがいのある仕事です。これからも介護業界の新たな常識に挑戦しながら自分らしく生きていきたいと思います。

(構成/岸のぞみ)
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