仕事・転職 #チャレンジ#映画#韓国#俳優 『恩師・佐々部清監督の急逝をきっかけに、映画監督に挑戦』崔 哲浩(さい てつひろ) 俳優/映画監督 2020年、尊敬する佐々部清監督が急逝。ずっと踏み出せずにいた映画監督への道に挑戦することを決めました。 中学1年生のとき、『青春デンデケデケデケ』という大衆演... 2024.10.28
仕事・転職 #50代#映画#旅行#モンゴル 『モンゴルで決断、音楽と旅をテーマにした映画を撮る』亀井岳 映画監督 2006年、はじめて旅したモンゴルで「長編映画を製作しよう」と決断。僕のその後の人生を大きく変える旅となりました。 子どもの頃から映画が好きだったものの、チーム... 2024.08.02
仕事・転職 #60代#北九州市#映画#早稲田大学 『映画監督になり、地元を舞台にした作品を撮る』雑賀俊朗 映画監督 夢だった映画監督を目指して企画を出し続け、2001年に監督デビューしました。 映画との出会いは、ラグビーに打ち込んでいた高校時代。腰を痛めて練習を休んだある日の... 2024.05.31
PLUS 仕事・転職 #20代#北九州市#映画#PLUS 『18歳のとき、役者の仕事を続けていこうと決めた』吉本実憂 俳優 デビューして3年、18歳のときに、役者の仕事を続けていこう、と決めました。 出身は福岡県北九州市。家の近くに「曽根干潟」という大きな干潟があって、トビハゼやカブ... 2024.01.15
仕事・転職 #40代#子育て#映画#俳優 『育児に専念するため、俳優業を一時休むことを決意』小沢まゆ 俳優/映画プロデューサー 20代後半に2人の子どもを出産。仕事と育児の両立に悩んだ結果、俳優業から一時離れ、育児に専念することを決めました。 物心ついたときからずっと、女優への憧れがあり... 2023.12.01
仕事・転職 #40代#新型コロナ#映画#経営者 『コロナ禍でも、ホテル業を辞めないという決断』帰山純一 有限会社ほていや商事 代表取締役 曾祖父の代から続いてきた簡易宿泊ホテル「ほていや」を継ぎ、コロナ禍という厳しい経済状況の中でも廃業しないという選択をしたこと。これが私の決断です。 江戸時代に徳... 2023.10.13
独立・起業 #30代#起業#夢#映画 『テニスプレーヤーを引退し、フライパン販売で起業』尾山翼 株式会社ふじいろ 代表取締役 28歳でテニスプレーヤーを引退し、その2年後にフライパン販売業での起業を決意しました。 中学校からテニスを始め、高校では本気で全国大会を目指しました。しかし、結... 2023.09.29
仕事・転職 #映画#映像#監督#国際映画祭 『ブルース・リーの『死亡遊戯』を観て、映画監督になることを決意』三原光尋 映画監督 ブルース・リーの代表作、映画『死亡遊戯』を観て、自分は映画監督になるんだと心に決めました。 友達もいない、学校もすぐ休む、運動も苦手。幼少期はそんなパッとしない... 2023.08.18
独立・起業 #50代#チャレンジ#映画#フリーランス 『40歳の決断、フリーランスの役者として生きていく』水野智則 俳優 40歳のとき、当時所属していた芸能事務所を辞めて、フリーランスとして活動していくことを決めました。 小・中学生の子役時代を経て、大学卒業後に本格的に俳優業をスタ... 2023.07.21
移住 #40代#子育て#映画#移住 『千葉県いすみ市に移住し、クリエイティブな活動に集中』松田圭太 映画監督 プライベートと仕事のバランスを見直したい。そう考え、2021年に東京から千葉県いすみ市に移住しました。 子どもの頃は特撮系のテレビ番組やアニメが好きでした。でも... 2023.06.02
仕事・転職 #30代#新型コロナ#映画#希望 『カメラの"うつす"力でエールを!』齋藤海月 カメラマン コロナ禍の緊急事態宣言で撮影の仕事がほぼストップした2020年。歩みを止め、自分の内面と向き合うことで、「僕は、カメラの"うつす"力によって人々にエールを贈りた... 2023.04.21
家族 #北九州市#映画#事業承継#家業 『夜中の電話で決意、母親を支えるため北九州へ』樋口直樹 小倉昭和館 マネージャー 小倉昭和館は、北九州市唯一の単館映画館です。24歳のとき、母の樋口智己が館主を務めるこの映画館で働くことを決めました。 昭和館の創業は1939年。母方の曽祖父が... 2023.04.14