会社員をベースに、歌いながら生きる
ミュージシャン・うにゃらさん。2021年の夏が終わろうとする頃、都内某所で彼女と会った。よく笑い、よくしゃべり、よく泣く、感情表現豊かな彼女は、2時間のインタビュー中も、コロコロとその表情を変えた。
昼間は会社員として事務の仕事をしている。最近はもっぱらテレワークで「家から出ない日も多い」と言う。もう一つの顔が、ミュージシャンだ。
「収入のメインは事務職だけど、心のメイン、生きる上での活動は音楽。歌をメインに、声を楽器として使う、ミュージシャンです」
そんな彼女がいま力を入れているのが、「即興音楽」というジャンルだ。
「一般的に音楽には決まりごとがあって、その通りに演奏するんだけど、即興音楽は、メロディーやコード進行といった枠がない。誰かがパッと音を出して、その音からどんどん次の音が生み出されていく。演奏しながら瞬間的に作曲をする感じ。ソロでもできるし、デュオやトリオでやることもある。ボーカル同士やギターとボーカルを組み合わせるなど、いろんな組み合わせでも演奏できるんだよね」
難しそうに聞こえるが、「誰でもできる」とうにゃらさんは言う。
「まったく経験のない小学生がいきなり即興をして、すごくいい音楽が生まれることもあるのね。それは奇跡みたいなことなんだけど。デュオやトリオでするときは、とにかく相手の音をよく聞くことが大事。……ってこれは師匠(さがゆきさん)の受け売りだけど。
ふらっと行ったバーで、たまたまそこにいた人と会話が生まれるのを楽しむ、そんな感覚に近いかもしれない。ずっと黙っているんだけど、なんか存在感のある人っているじゃん。それでたまに発する一言がすごくいい言葉だったりとか。即興でもそういったことが起こるんだよね」
コロナ禍でライブハウスでのリアルなライブをするのが難しくなったが、感染者数の状況を見ながら、ジャズバーなどで定期的にライブを開催して歌っている。
会社員とミュージシャンと、さらにもう一つ、一風変わった顔も持つ。それは「占い師」だ。
「20代後半ってわりと道に迷うじゃないですか。それで占いに行きまくって、スピリチュアル女子みたいになってたの。占い師さんの言葉を聞きながら、なんでこの人はこんなことを言うんだろう、と気になるようになって、学んでみたいなと思ったんだよね」
ホロスコープ(星占い)を学ぶうちに、恋に悩む女友達から「占って!」と頼まれるようになり、いつの間にかそれが副業になった。サイトを立ち上げ、本業や音楽活動の合間に依頼を受けて占っているという。
占い師としての屋号は、『ナーナエストレラス』。
「これはポルトガル語で北斗七星を意味する『セッチエストレラス』という言葉に、英語でおばあちゃんを意味する『ナーナ』を掛け合わせたの。『ドラゴンボール』に出てくる占いばばあって知らない? 戦いをするときに出てきて『わ・た・し・は占いばばあ♪』って変な歌を歌うの。なんかそういう、“占いばばぁ”みたいな変な立場になりたかった(笑)。
友達としてただアドバイスするのではなく、星占いだとこうだよ、と言えることで、説得力が出てきたかなと思う」
いずれは音楽と占いだけで生活できたら、という思いもあるが、安定した収入は、音楽を続けていくうえでも重要だと考えている。
塾で出会った、紳士的でやさしい彼
そんなうにゃらさんの「人生最大の決断」は、「18歳から14年間付き合った恋人と別れた」こと。10代後半から30代前半という恋多き時期に、14年もの年月を費やした恋愛が、うにゃらさんの人生に大きく影響を与えたであろうことは想像に難くない。
うにゃらさんは1979年、埼玉県入間市で生まれた。転勤の多い父親の仕事の影響で、小学校の数年は台湾で過ごすなど、引越しを繰り返した。「とにかく周囲の環境にひたすら適応してきた」と、うにゃらさんは子ども時代を振り返る。
親の勧めで高校はアメリカのボストンへ。しかし、言葉の通じない異国で、お嬢様学校だったその高校にうにゃらさんは馴染むことができなかった。ちょうどその頃、バブル崩壊の影響を受け、羽振りの良かった家庭の経済事情が一変。「無理してお金を払ってもらってまで、がんばる気力もなかった」と話すうにゃらさんは、1年で帰国した。
その後、「留学に失敗した」というショックから引きこもりがちになったという。少しずつ心は回復したが、日本の高校には進学せず、高卒認定試験を受けた。
その後、大学受験のために通った塾で出会ったのが、その後14年間付き合うことになる、まことさん(仮名)だった。
「今思えば、超いい男だったと思います。レディーファーストのじぇんとるまーん。見た目もカッコ良かったよ。髭があって、目が一重で、いつもメガネをかけてた。プラダのスーツとか着てたね。オシャレ男子でした」
たまたま家が近く、塾のあと一緒に帰るようになり、ふたりは仲良くなった。最初の告白は、うにゃらさんから。しかしそのときは、振られてしまったという。そのまま「友達として」の期間が5カ月ほど続いた。そして今度は彼から告白された。
「覚えてる、覚えてる。電話でね、『やっぱり好きなんだ!』みたいな。ビックリした。人生最大のきゅんだよね」
しかし、最初の交際はうまくいかず、受験を理由に、大学生になる前にふたりは別れた。お互いにどこの大学を受験したかを知らないまま大学生になったが、実は同じ大学に進学していた。ふたりはキャンパスで再会する。
「え、なんでいるの?! ってなって。じゃあまた付き合おうか、と」
それからはお互いの家を行ったり来たりしながら、愛を深めていった。
「やさしかったよ。体調が悪いときにうちに来て、おかゆを作ってくれたり。褒めるのがすごく上手で、エスカレーターに乗るときに、危ないからって必ず私の下にいてくれるのね。私がふっと振り返ったときに、『かわいい!』とか言ってくれたり(笑)。イタリア人っぽかった。今思えば、本当にすんごいいい人と、10代・20代を一緒に過ごしたなと思う」
ふたりの思い出の場所は、埼玉県の所沢。駅前の本屋で待ち合わせて、西武百貨店へ。他愛のない話をしながら、上の階から下の階まで順に上がって、また降りる。そんな何気ない時間が、ただ楽しかった。
「別れよう」……とっさの一言で14年の交際に終止符
時間とともに、人は変わっていく。うにゃらさんもまことさんも、ずっと同じではいられなかった。うにゃらさんは24歳で音楽を始める。結婚や出産も考え始める。理由はその時々で違っていたが、ふたりは14年間で5回、別れている。
「14年のうちに、本当にいろいろあったよね。すんごいラブラブなときもあれば、倦怠期もあった。今思えば、私は我慢して言いたいことを言えていなかった。もっと言いたいことを言っておけば良かった。ケンカしておけば良かったね」
別れてはまた引かれ合い、復縁する。そんなふうにしながら、ずっと一緒に人生を歩むこともできたかもしれない。しかし、ふたりに最後の別れが訪れる。
その日、いつものように待ち合わせたふたりは、所沢のモスバーガーで会った。
「言っちゃったんだよね、ぽろっと。あ、もう駄目だ! ってある瞬間思って、言ったんだと思う。その数カ月前には一緒に旅行もしてるんだよね。富山でカニを食べたりして。だから、彼もまさかそう来るとは、という感じだったと思う」
とっさの勢いで出た一言だったとはいえ、うにゃらさんには確かな予感があった。「これが、本当に最後の別れになる」と。
別れた彼のことを思い、うにゃらさんが作った歌がある。
さよなら もう会えないなんて 信じられないよ
さよなら でも あなたの事は 忘れたくないんだ
こんなに空は青くて こんなに雲は白くて
こんなに風は自由で 鳥たちは歌い続けてる
笑う影はキラキラ 恋をする蝶はヒラヒラ
あなたは何を見ていた? 知っていた?
さよなら
「付き合っているときは、別れなんて意識しないから。別れたときに、付き合っていた当時を振り返って、私の気持ちを彼は知っていたのか。彼の気持ちを私は知っていたのか、どうだったのかな、みたいに思って作った歌。今でもライブで時々歌うかな。思い出してツラいとかはまったくなくて、歌いながら、過去のキラキラした宝石を私は持っていたな、と思う」
彼と最後に別れた日のことを、うにゃらさんは今でも鮮明に覚えている。モスバーガーを出たふたりは、所沢駅の階段前で、じゃあね、と言って別れた。寒い冬の夜、空には星が輝いていた。
(文・尾越まり恵)プロフィール
unyara(うにゃら)
ミュージシャン
1979年6月生まれ、埼玉県入間市出身。大学中退後フリーターになり、働きながら24歳で歌を始める。現在は会社員のかたわらミュージシャンとして活動。2020年に卵巣がんと子宮がんを併発。がんサバイバーでもある。