「子どもを産まない」人間になれた
まことさん(仮名)と別れた後、「結婚」という人生の理想を叶えるため、うにゃらさんは出会いを探した。付き合った人もいたが、長続きはしなかったという。片思いで終わった恋もある。
「わ、素敵! と思う人とは発展しなかったし、好きだと言ってくれた人には、私が惹かれなかった……。お互いが好きになるって、改めてすごいことだと思うよね」
結婚相手と出会えないまま、40代を迎えた。「私はもう、子どもを産まない人生を歩むんだな」と、諦めかけていた頃、うにゃらさんの体に異変が起こる。
「もともと子宮筋腫があって、生理痛が重かったのね。鎮痛剤で紛らわせていたんだけど、あまりにも貧血がひどくなって、病院に行ったの」
41歳になった直後、2020年初夏のことだった。医師は「すぐに精密検査をしたほうがいい」と表情を変えた。
検査の結果は、子宮体がんの疑いあり。ステージはこの時点では告げられなかったが「すぐに手術をしたほうがいい」とあまりにも急な宣告を受けることになる。
その年の8月、卵巣と子宮を全摘出。術後の検査の結果、卵巣がんも併発していたと診断される。すぐに、抗がん剤治療を始めた。子どもがほしいと望んでいたうにゃらさんは、この残酷な現実を、どう受け止めたのだろうか。
「卵巣と子宮を摘出します、と言われたときに、実は、葛藤は何もなかったの。もっと悲しみとか、喪失感があるかと思っていたんだけど、あ、そっか、と思って。私はもう、子どもを産まない人生を生きていくんだな、とストンと思えた。
ただ、そう思えたのは、40代という年齢だったからだと思うんだよね。もう1人で生きていくぞ、と半ば心を決めていたときだったから。もし30代前半とか、子どもがほしい! という気持ちがピークのときに病気になっていたら、こんなに落ち着いてはいられなかったと思う」
病気が発覚する前は、まだ「子どもを産む」という可能性が残っていた。その可能性が、苦しいと感じることもあった。
「まわりもさ、40代前半ならまだギリギリ産めるよって言うじゃない。そうかな、って思うんだけど、『子どもはかわいいよ』『産めるなら産んだほうがいいよ』って言われても、そんなこと分かってて、30代を生きてきたわけだから。周囲の言葉に反応するのもだんだん面倒になっていたんだよね。だから、病気になって、自分自身ももう希望を持たずに済むし、周囲からも『子どもを産まない人間』になれたから、すんごいスッキリした」
音楽で生きていくぞ! と吹っ切れた