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2023年4月、長くお世話になってきた自由民主党を離れ、無所属として文京区長選に出馬することを決めました。

筑波大学を卒業し、立候補する直前はは、広告代理店にてプロデューサーとしてCM制作などに携わってきました。しかし、父が脳梗塞で倒れて介護生活が始まると、政治への不満が爆発。7年間の介護のすえに父は息を引き取りましたが、仕事でとある県知事と話をした際にその思いをぶつけたところ「そんなに言うなら自分でやってみては」と言われて一念発起しました。TOKYO自民党政経塾塾長の深谷隆司議員に教えを請いながら、政経塾に入って区政を猛勉強。2006年に自民党の公認を獲得、翌2007年に文京区議選に出馬し、初当選。以来16年にわたって文京区議会議員を務め、2017年には自民党文京区議団幹事長に就任、2019年には文京区初の女性文京区議会議長を務めました。

ところがいろいろと改革したいと思えど、なかなか区政の方針が変わっていかない現状にもどかしい日々が続きました。介護施設に視察に行くと、4人部屋のトイレがもう何年も前から故障していて隣室のトイレを使うよう張り紙がなされていたり、障害者の方は保護者が倒れてしまったときにどうすればいいか対応できずに困っているのに「119番してください」と通り一辺倒な回答が来たりする。極めつけは、他の区では既に進んでいる給食費無償化をなぜできないかと質問したところ、「文京区は半数が私立の中学に行く。公立の子だけ無償化すると不公平だ」と当時の区長に回答され愕然としたことが区長選出馬への最後の一押しになりました。介護に重要な役割となるケアマネ―ジャの数はは国の指定では35人に1人はいなければいけないとされているのに文京区では70人に1人しかいない。高齢者、障害者、子どもの教育にあまりにも優しくない。16年言い続けても変わらないのであれば、自分が区長となってかじ取りをするしかない!

この時、自民党は現職区長を推薦することを決めていたため、、私が区長選に出馬するには長くお世話になった自民党を離党するしかありませんでした。お世話になった皆さんに頭を下げながらあいさつに回り、時には厳しいお叱りの言葉をいただくこともありましたが、私の心は変わりませんでした。裏切者と言われようと、議員のままでは何も変えることはできない。落選すれば58歳にして突然無職になるという危険な賭けでしたが、私には使命感がありました。

結果は、1万票差で落選。これは歴代の選挙結果を踏まえればかなり健闘したほうであったといえましたが、落選は落選です。突然無職になり、選挙で貯金を使い果たしたためお金もありません。しばらくは外に出ることもできないほど放心状態になりました。そんな私を救い出してくれたのは、選挙を手伝ってくれた学生ボランティアのメンバーたちでした。現在文京区は子どもの数が増え、小学生の放課後の居場所がたりません。そこで、「何かやりましょうよ!」と言ってくれたボランティアの方々とともに、子どもたちの放課後の居場所として週に2回ほど「ちょっと苦手を好きに変える」をテーマに「寺子屋」の運営を始めました。通常の勉強だけでなく、外部から芸術家や企業の方などを講師としてお招きして体験学習も実施しています。

あの挑戦がよかったかと問われたらわからないけれど、私は後悔はしていません。
あのとき本気で訴え区長選に出馬したことで、あれほど実施しないと言っていた「給食費無償化」などが、その後の議会で議決されスタートしました。これは大きな変化です。
区政を変える一石を投じることが出来た、区民の皆さんのお役に立てたのかなと思っています。
寺子屋をやりながら友人の会社でアルバイトをするなど、生活としては苦しい日々ですが、この時間も今の私には必要な時間だと思っています。この時間が、新しい私を作ってくれる熟成期間だと思い1日1日を大切にしています。


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