中村聡介

高校時代から25歳まで続けてきたダンスを辞め、行政書士の資格を取得して独立しました。

幼い頃、ウィーン少年合唱団のステージを見て、「自分もステージに立ちたい!」と思うようになりました。そこからマイケル・ジャクソンに憧れるようになり、高校3年生のときにダンススクールへ。当時はいまほどダンススタジオもなかったので、月に1度、ダンススクールのある東京まで、地元静岡から片道2時間半かけて通っていました。大学もスクールに通いやすいという理由だけで横浜の大学を選択。ヒップホップ、ロボットダンス、タップダンスとさまざまなダンスを学びました。

テレビ東京が主催していたダンス大会で優勝。1年3カ月の間、テレビ東京の番組でレギュラー出演を果たしました。ある日、ダンスのレッスンに向かう最中に交通事故に遭い、左足が乗っていたバイクの下敷きになる全治2カ月の大怪我を負いました。
自分にはそのとき、この事故が何かのメッセージのように感じていました。ダンスの世界はダンスを習いたい人がダンススクールにお金を払い、ショーを見て、スクール講師となっていく。お金も世界観もダンス業界だけで回っているような、そんな違和感がありました。マイケルを見たときの、あの感動はいまのダンスの先にはないのではないか――。

このバイク事故を大きな契機として、僕はダンスの世界を辞めて自宅を引き払い、実家に戻って行政書士の勉強を始めることを決意しました。行政書士を選んだのは父親が社労士事務所を経営していた影響が大きかったのですが、ダンスの世界から突然身を引いた自分でしたが、文化芸術系の団体は組織運営における運営資金が常に課題になっていることから、事業としての継続性や制度的な側面を支援していけるのではないかという考えもありました。

「人より25年の遅れがある。40歳までに人の数倍は努力しなければ!」という焦りから毎日5~6時間、5年間猛勉強を続けて31歳のときに無事資格を取得、独立を果たしました。

その後、縁があってダンスを取り入れた一人芝居を始めてみると、マイケルに憧れたときのあの感動を思い出すこともできました。ダンスも行政書士も、どちらの世界の人からも「中途半端」と思われるのではとも思いましたが、表現したい世界があるし、支援していきたい世界もある。ここからだから見える景色があると思っているので、「自分を大切に、人生を生き切る」という自身の生き方を大切にしながら、これからも自分らしく歩んでいきたいと思います。


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